京王線「千歳烏山」駅から北方面に約15分。中央自動車道の高架下を通り抜けると、それまでの住宅街からお寺の続く街並みに変わります。ここが烏山寺町。「世田谷の小京都」と呼ばれる地域です。

なぜ、この街に多くのお寺が軒を連ねるのでしょうか。

それは1923年の関東大震災で浅草や築地といった都心に建てられていたお寺が被災し、再建規制を受け、移転を余儀なくされたことから。つまりは震災後の復興に向けて、区画整理が実施されたわけです。

そこで都心部の寺院が目を向けた土地が烏山。当時の烏山は農村地帯で地価が安く、それなりの広さの土地が容易に取得できたそうです。さらには甲州街道にも近い立地の良さも手伝い、震災の翌年から都心のいくつかの寺院が烏山に移り、昭和10年代には現在のような寺町が形成されました。

現在はさまざまな宗派の26の寺院が佇み、風格のある高い塀や山門、入念に手入れされた植栽などが寺町の趣を醸し出しています

烏山寺町のある寺院で植栽の仕事をしている方からぜひにとすすめていただいたのは、天保年間に建立された立派な山門を構える「幸龍寺」。このお寺は徳川家康が浜松城主だった頃に徳川家の祈願寺として開山されました。

山門を入ってすぐ右手にあるのはなんと神社。ここは「清正(せいしょう)さん」と呼ばれる、加藤清正公と柏原大明神を祀っています。2神であることから配されているシンボルも2つ。江戸時代にお寺の境内に建造された神社は、明治期の神仏分離令を受けて「南無」を付けて仏様になりました。お正月には多くの参拝客が訪れるそうです。

幸龍寺の境内にある加藤清正と柏原大明神を祀る神社。寺町通りでは唯一の神社である。

烏山寺町では、江戸を席巻した美人画の巨匠のお墓も見られます。それが「専光寺」。境内に入ってすぐのお墓には江戸時代後期に活躍した浮世絵師・喜多川歌麿が眠っています。

寺町のなかでも風雅な気分に包まれるのが「妙寿寺」です。古刹の雰囲気を醸す重厚な山門を抜けると、そこは静寂の地。

参道の右手側には大正ロマンを感じさせる3階建て木造建築が見えます。これは明治期の鍋島侯爵邸の一部を移転して作られた客殿。秩序よく並ぶ窓のガラスに空や木々が映し出され、ぼんやりと眺めていると心を潤してくれるよう。

参道脇に置かれている梵鐘は別名を「妙寿寺の割れ鐘」といいます。江戸の名工といわれた藤原正次の作で、この鐘は享保4年(1719年)に鋳造されたもの。しかし、関東大震災でお寺の隣りにあったガス会社から流出したコールタールなどで猛火に包まれて破損し、割れ目ができました。

 

この梵鐘はこれからも使用されることはないと思いますが、300年以上前に鋳造された職人の仕事をじっくり観察することができます。なお「源正寺」にある「天水桶」もこの梵鐘と同じく、藤原正次の作。

境内の奥に広がるこぢんまりとした竹林が美しいのが「玄照寺」。さわさわとざわめく竹の葉の音が心地よく感じられます。

烏山寺町の最北端に建つのは禅宗寺院 の「高源院」。ここにある「烏山弁天池(別名 鴨池)」は目黒川の源流といわれ「せたがや百景」の1つ。冬にはシベリアから鴨が飛来することもあるそう。水の神様・弁財天を祀る紅いお堂を湧水が囲む光景は俗界から離れた次元を感じさせます。

半日あればゆっくり見てまわれる世田谷の小京都、烏山寺町通り。古刹の情緒に浸りたいときは出かけてみてはいかがでしょうか。

information

烏山寺町通り

東京都世田谷区北烏山2丁目~6丁目