「天王洲アイル」の地名をイメージで分解すると、豪胆(天王洲)と軽やか(アイル)と、それぞれ対極にある響きの組み合わせ。

地名の歴史を紐解くと「天王洲」は江戸時代に海中の土砂が堆積してできた州に牛頭(ごず)天王の面が流れついたことに由来。
(余談ですが、天王洲に流れついた牛頭天王の面は本マガジンでも紹介した龍のモチーフでお馴染みの「荏原神社」に奉納されています)
その洲を再開発する際に「島」を意味する「アイル(Isle)」を加え、天王洲アイルに。

オフィスビルが都会の様相を成す「センター通り」の広場にはキッチンカーが出没

地名に旧新一体の歴史を感じさせるこの街は総面積約22ヘクタール。
天王洲は江戸時代に築かれた「第四台場(砲台)」で、明治時代に入りその役目を終えた後に造船所が建設された時期もありましたが、1917年に民間に払い下げられます。

1939年に埋め立てが完成すると、天王洲は倉庫街に。
そして1985年、地権者22社による「天王洲総合開発協議会」が発足して都市開発が始まり、現在に至ります。当時、この都市開発は日本最大規模だったそうです。

倉庫を改装した「アイルしながわ」は「天王洲ハーバーマーケット」をはじめとする、さまざまなイベント会場に使用される

りんかい線「天王洲アイル」駅から地上に出ると、目に飛び込んでくるのは無機質な高層ビル群と広場。色にたとえるとホワイトに近いツヤ消しの素っ気ないシルバー。しかし、水辺が近くにつれ、その印象は徐々に変わり、視覚を超えたさまざまな色彩が心に宿りはじめます。

りんかい線「天王洲アイル」駅から京浜運河に向かう途中にある花壇もアート作品

まず、感情に働きかけてくる色彩の殿堂が「ピグモントーキョー」。
ピグモンとはフランス語で「顔料」という意味で、ここでは日本ブランドの希少な画材を展示、販売しています。今をときめく建築家・隈研吾が手がけた店舗デザインもアートファンの心をつかみ、一躍、天王洲アイルの人気スポットに。この日も国内外の多くの人たちが集まっていました。

竹がなだらかな曲面を作るアートがエントランスを飾る「ピグモン・トーキョー」(館内は撮影不可)

さらに進むと、新感覚の没入型展覧会『ゴッホ・アライブ』展が絶賛開催中の寺田倉庫G1ビルが。

その向こうには京浜運河。
新東海橋を渡った対岸には「天王洲ヤマツピア桟橋」があり、ここから目黒川の桜を楽しむクルーズ船も出航しています。

新東海橋のたもとに桟橋を発見。京浜運河から発着するクルーズを体験するのも楽しそう!

寺田倉庫G1ビルの道路を挟んだ向こうには三味線を持った女の子を描いたこんな巨大な絵も。天王洲アイル駅付近の雰囲気とはグッと変わり、これから心を揺さぶられる場面にどんどん遭遇できるかも! そんな期待に胸が高鳴ります。

平日、週末に関わらず多くの人の足が向くのは、運河に沿ったデッキ「ボードウォーク」。
デッキに沿って建ち並ぶ倉庫にはライフスタイルショップ「アクタス」のコンセプトストア「SLOW HOUSE」や多目的ホール、レストランなどが入居し、ベイエリアにときめきを添えています。夕暮れ時はデッキに灯がともされ、水面に淡い陽光の反射が映り、ふと足を止めて黄昏れてしまうでしょう。

ボードウォーク傍の京浜運河に浮かぶ4隻の船は水上アートホテル「PETALS TOKYO」。 大きな白い帆の船形施設「T-LOTUS M」は建築家・隈研吾が監修。イベントや結婚式が開催される

京浜運河のデッキから路地を抜けると倉庫やオフィスビルが連なる「ボンドストリート」へ。
ボンドとは昔ここが保税地域(bonded area、外国から輸入された貨物を一時的に蔵置する場所)だったことから名付けられました。
この周辺は天王洲を拠点に発展した寺田倉庫の本拠地。倉庫や物流にとどまらず、前述したピグモン・トーキョーやG1ビル他を通じて、さまざまな芸術文化を国内外に発信する寺田倉庫は天王洲の街作りに、今もなお大きく貢献し続けています。

運河近くの道路から遠目に見た三味線をもつ女の子の巨大アートもこの通りにあります。
「ホテル東横INN」の立体駐車場に描かれたこの絵画はカリフォルニア生まれ、バルセロナ育ちのアーティスト・ARYZ(アリス)によるもので、鈴木春信の浮世絵『見立芥川』が題材になっています。

『“The Shamisen” Shinagawa 2019』ARYZ作。全体像を見るなら京浜運河に架かる新東海橋方面がおすすめ

ボンドストリートの有名店といえば、醸造所を併設したレストラン「T.Y.HARBOR(ティー・ワイ・ハーバー)」。お昼時には近くのオフィスに勤める人たちやタクシーで乗りつける団体客などが目白押しで、その人気ぶりがうかがえます。

陽が川面に落ちる頃。ディナー客を迎える前の「T.Y.HARBOR」

お店の近くには「天王洲ふれあい橋」があり、この辺りから京浜運河は「天王洲運河」につながります。
天王洲運河にもデッキが走り、背後にそびえる高層のオフィスビル群は都会のウォーターフロントならではのスマートで洗練された風景。

ボンドストリートに並行して走る「センター通り」はオフィスビルの間に整備されています。
足を進めるとオフィスビルの狭間にはたくさんの緑がいたるところに配され、さまざまなパブリックアートやオシャレなボックス仕掛けの今や希少な公衆電話、数台のキッチンカーなどが。
また、オフィスビルの1階には品数豊富な青果物をリーズナブルに提供する八百屋も発見。
センター通りはちょっとすましたオフィス街と思いきや、意外にも人情を感じさせる開放的な通りでした。

さて、天王洲アイルでランチを楽しむなら、やはり運河沿いでいただきたいものです。
今回はアクタスが運営する京浜運河沿いのレストラン「SØHOLM(スーホルム)」へ。
ここもT.Y.HARBOR同様、ランチタイムには満員となる人気店。スーホルムとはデンマーク語で「湖のほとりの小さな町」という意味で、旬の野菜を取り入れたカジュアルなヨーロピアンメニューを提供しています。ランチタイムはワンプレートでドリンク(コーヒー、紅茶)付き。

大きな窓からは水辺の景色が楽しめる。フロアに敷かれた六角形のタイルもさりげなくオシャレな店内

「豚肉のシュニッツェル チェリートマトのソース」(1,760円)は豚のカツレツで、目玉焼きとチーズをトッピング。オイリーなチェリートマトと一緒にいただくとジューシーな豚肉に酸味が加わり、複雑な旨みが口のなかを満たします。

一風変わったネーミングの「ヤンソンの誘惑」(1,650円)はジャガイモとアンチョビのグラタン。この組み合わせは予想を裏切ることなく、よい塩梅のクリーミーさと塩気は肌寒い日に恋しくなる味わい。

なお、オフィスビルのなかにもパスタやインドカレーの名店があるので、天王洲アイルのリピーターになったらぜひ、こちらにも足を運んでみたいものです。

東京湾にはさまざまなウォーターフロントの開発エリアがありますが、それほど広くはない天王洲アイルはベイエリアの「箱庭」のような存在感。水辺とアート、食がシナジーを生み、深く知るほどに共感と親しみやすさを感じさせます。

運河沿いやオフィス街にはところどころにチェアやテーブルが置かれ、ホスピタリティを感じさせる
「ホテル東横INN」の正面にある三島 喜美代の『Work 2012』。ゴミ箱の中の段ボールは陶器で作られている

品川駅からも徒歩圏なので、季節のよい時期には好きなアートや好みのレストランを求めて運河沿いを歩いてみるのもよいでしょう。