東急多摩川線「武蔵新田(むさしにった)」駅の改札を抜けると、そこはさまざまな業種の商店が点在する武蔵新田通り(旧鎌倉通り)。

せわしさとは対極にある、のんびりとした空気がたなびく下町風情の商店街。
ふとよみがえったのは、昭和の頃によく見かけた白地にブルーの水玉の包装紙にくるまれた濃縮カルピスの瓶やベルボトムに下駄履き、髪が肩より下に伸びた若者たちの姿…。
それはきっと、この街がくぐりぬけてきた永い暦のせいでしょう。

駅から商店街を左に進んだ場所に鎮座するのが「新田神社」。
武蔵新田の駅名もこの神社に端を発しています。
ご祭神は南北朝時代の武将である新田義貞の次男、新田義興(よしおき)。無念の死を遂げた義興公にまつわる伝説が今もなお、語り継がれています。

時は南北朝の動乱期。
父、義貞の死後も南朝方として勢力を張っていた義興公は足利尊氏により鎌倉を追われ、本拠地の越後に帰りますが、鎌倉挽回の夢を捨てきれずにいました。そんな彼を恐れていたのが、関東管領の畠山国清。国清は竹沢右京亮と江戸遠江守を使って謀殺を企みます。

ふたりは義興公を関東におびき寄せるため、芝居を打ちます。
「所領が畠山国清に没収されたので共に戦ってほしい」という嘘の誘いにのった義興公。
江戸氏の案内で多摩川の矢口の渡しを渡るはずが、乗船した船には穴が開けられていました。延文3年(1358年)10月10日、義興公は船上で自刃、13名の側近は討ち死にあるいは自害します。

その直後から渡し場付近には怪光が現れたり、敵方の領地では雷が鳴り止まず、地域の人々を悩ますようになりました。また、謀殺に関わった者たちはことごとく変死。この奇怪な出来事は怨霊と化した義興公の祟り…と怖れられるようになりました。

そこで鎮魂のため、義興が葬られた塚に建立されたのが新田神社です。建立は1358年。謀殺と同じ年の建立を思うと、怨霊となった義興公の祟りが凄まじかったことを思わずにいられません。

神社や新田義興公の事に詳しくなくても、案内板や「新田神社にまつわる七不思議」などの掲示があるので楽しめる

ちなみに新田神社から徒歩約5分の場所にある「頓兵衛(とんべえ)地蔵」も義興公の鎮魂のために建立されたお地蔵様。義興公を乗せた矢口渡の船頭が自分の罪を悔い、冥福を祈るために作りました。顔の部分が崩れていることから「とろけ地蔵」ともいわれますが、これも義興公の祟りといわれています。

目と口が擦り切れたように薄いお地蔵様。背景を知らなければ眠たげで可愛らしい顔立ちなのだが…

新田神社の本殿後ろには頑丈な柵に包囲された円墳がありますが、ここは義興公の遺体が埋葬され、立ち入ることはタブー。入ると祟りがあるといわれています。
また、境内に1体だけ残っている“唸る狛犬”も義興謀殺を企んだ畠山一族の者が近寄ると、唸りをあげて雨を降らせたそうです。

直径が約15m程の円墳。開けた雰囲気の神社だが、この御塚が直接見られるところまで来ると途端に鬱蒼とした印象に
片割れは悲しいことに戦災で壊れてしまったが、その雄々しい表情は健在のようだ

ある意味、ダークツーリズムの場であるこの神社。
しかし、人々を震え上がらせてきた数々の祟りの伝承がある一方、義興公と恋仲であった少将局にあやかり「縁結び」にご利益があるといった、心なごむ面ももちあわせています。
カピス貝で作られたハート形の絵馬や石の彫刻「LOVE神社」などがそう。参拝すると良縁に恵まれたり、恋人との仲が深まるといったエピソードもあるようです。

ちなみに、少将局を祀った「女塚神社」も蒲田の方にある。立ち寄って歴史を肌で感じるのも面白いかも?
この樹は平成5年6月9日の皇太子殿下(現天皇陛下)のご成婚記念に植樹された。ハート形の絵馬がたくさん下げられ、何とも愛らしい

見どころの多い境内のなかでも異色なのは、唐突に置かれた感のある石製の卓球台!
これはアートディレクターの浅葉克己さんがデザインし、奉納されたもの。ちなみに前述した石の彫刻「LOVE神社」も彼の作品です。ラケットとピンポン玉を無料で貸し出してもらえるので、ゲームに興じるのもよいでしょう。

ご近所の方もお散歩の途中で白熱したゲームを行なっていた。開放的なのでスマッシュも楽しく打てる

触れることで「若返り」が期待できる、御神木のけやきも参拝客に親しまれています。
10歳若返るぞ!と意気込んで幹に手を当てていると、本記事の企画・撮影を担当したM嬢があるものを発見!それは幹に打ち込められた1本の釘…。

大学で民俗学を専攻したM嬢は、
「ご神木に打ち込まれた釘を見ると、連想するのはやはり丑の刻参り。『白装束姿で七日間続けて丑の刻(現在の午前1時から午前3時頃)の神社に赴き、憎い相手に見立てた藁人形をご神木に打ち付けるとその相手に災いが降りかかる』という、呪いの一種です。呪いは本来「まじない」と読み、呪術を通して強い思いを成就させようというもの。呪う本人の気持ちは勿論ですが、縋る神様の力も強い方が良い気がしますよね。この釘を見ると、『丑の刻参りに利用しよう』と思える程に新田義興公の恨み辛みは深く、災いも凄まじかったのかなあなどと想像してしまいます。単に足場だったり修復の跡だったりするのかもしれませんが(笑)」
と話します。

画像中央に釘が見える。是非とも真相を知りたいものだ
このご神木は樹齢700年程。静かな神社だが多くの人が訪れており、皆次から次にけやきへ手を当てていた

さて、この神社は破魔矢発祥の地といわれています。
宝暦(1751~1764)の頃より「義興の矢」といわれる魔除けが門前の茶店で売られていたそうですが、後年「エレキテル(摩擦発電機)」を発明した蘭学者・平賀源内が五色の和紙と神社の境内に生えている篠竹、新田家の黒一文字の短冊で作った「矢守」を売り出すようになり、これが破魔矢の元祖になったとか。

「破魔矢発祥の神社」らしく、破魔矢のモニュメントが。遠くからでも見つけられるようにか、見上げるほどの大きさだ

新田神社では破魔矢を毎年、お正月に授与しています。
魔除けとチャンスを射止められるようにという願いを込められた縁起物・破魔矢を飾る期間は1年間。神棚といった人の目線の上にある所に置く他、玄関に飾ると外部からの災いを防ぐといわれます。

参拝後、昼食をとるなら武蔵新田駅周辺や環八を渡った先に点在する飲食店に出かけるのもよいでしょう。

「キッチン知以富(ちいふ)」は武蔵新田駅から徒歩約1分の場所にある洋食のお店。
シェフハット、シェフコート姿のシェフがおひとりで切り盛りされています。
平成元年に開業し、知以富という店名はシェフのご友人が名付け親なのだとか。

カウンター6席のこぢんまりした店内で楽しめるのは往年の洋食メニュー21品。
今やこれほど洋食が充実しているお店は滅多にありません。注文を受けてから1品1品、丁寧に食材と向き合う物静かなシェフの姿も絵になります。

サービスステーキ、チキンカツをいただきましたが、どちらも食欲中枢を刺激する、後を引くおいしさ。改めて日本の洋食に惚れ直しました。
新田神社へのお礼参りや初詣の際には、きっと参拝後の胃袋を満たしてくれることでしょう。

ブリキの缶からどさっどさっと入れられたバターと柔らかな肉の旨みが口いっぱいに広がるサービスステーキ(1,300円)
ジューシーなチキンとたっぷりかけられた濃いソースの組み合わせがたまらないチキンカツ(950円)
INFORMATION

新田神社
東京都大田区矢口1-21-23
TEL 03-3758-1397
https://www.nittajinja.org/index.html