頼みごとを無愛想にはね除けることを「けんもほろろ」と表します。
昔、けんもほろろに断られてしまった…。かつての恋のあれこれを思い出し、胸の真ん中にピリッと微かな痛みが走る方もいらっしゃるかもしれません。

この「けん」と「ほろろ」。
実はある鳥の鳴き声に由来するのをご存じでしょうか。
それは日本の国鳥である「キジ」。
昔話『桃太郎』にも登場し、桃太郎と共に旅に出るキジは勇気の象徴といわれ(ちなみに犬は忠誠心、猿は知恵)、日本人にとっては馴染み深い鳥です。

キジがお社の名前になっている珍しい神社がJR五反田駅近くに鎮座しています。
それが「雉子(きじ)神社」。
道幅が広く、ゆるやかな坂が続く桜田通り沿いにそびえ立つ大きなイチョウは駅前からも望め、神社の目印になっています。
イチョウに存在感をかき消されそうな、さりげない構えの鳥居をくぐり、石段を登った先に広がるのは知る人ぞ知る、密やかな神域。

この大きなイチョウは「品川区指定天然記念物」となっている

社殿がビルの一角に組み込まれているようにも、あるいは昔からある社殿をビルが囲むように建設されたようにも見える、ビルと社殿が一体化した空間。どこかミステリアスに感じるのは、社殿を囲む4つの”規律ある美”ともいえる白亜の円柱と天空に繋がる抜けが設けられているからでしょうか。
天からたっぷり注がれる自然光を受け止める屋根のきらめきは天上界からの粒子をまとっているかのよう…と想像に翼を与えてくれます。

広々とした境内。近隣のオフィスから出てきたのであろうスーツ姿の男性たちも社殿を眺めながら歩いていた

雉子神社の創建は文明年間(1469年~1487年)といわれ、かつては大鳥明神を祀っていたそうです。
江戸時代の慶長年間(1596年から1615年)、三代将軍・徳川家光が鷹狩に来た時、1羽の白キジが境内に飛び入り「以後雉子宮と称すべし」と言ったことから、「雉子ノ宮」と改称されました。そして、現在の「雉子神社」の社名となったのは明治維新のこと。

なるほど、社紋に徳川家の葵紋が使われているのは徳川家から庇護されてきた証というわけです。御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)・天手力雄命(あめのたちからおのみこと)・大山祗命(おおやまつみのみこと)。

社務所の入り口にある提灯にも、迫力ある徳川家の葵紋が入っている

ぽっかりと天を仰ぐように鎮座する社殿は1995年に新築されたもの。社殿建築には珍しい木とガラスの組み合わせはモダンで美しいデザインを感じさせます。
なだらかな曲線を描く屋根にキジが乗っているのも、雉子神社ならでは。
この像は彫刻家・圓鍔勝三(えんつば かつぞう)が奉納したものです。

屋根のへりにキジが!すぐ上から太陽光が当たり、何とも言えぬ神々しさがある

屋根に凛々しく立つキジは「おキジさま」と崇めたくなるよう。
おキジさまといえば…宮中では新年に薄く切って焼いたキジ肉を入れた「雉酒」を飲む慣習があり、このお酒を「おキジさま」と呼ぶそうです。

ちなみに、この神社を「雉子ノ宮」と名付けた家光をはじめ、徳川将軍家や戦国武将の間で好まれた鷹狩で一番喜ばれた獲物がキジ。室町時代から美味な肉と魚は「三鳥五魚」といわれ(鳥はキジ、ツル、ガン。魚はコイ、タイ、マナガツオ、スズキ、フナ)、将軍たちの胃袋も満たしたであろうキジは宮中でも好まれていたようです。

社殿の左側には大国主命(おおくにぬしのみこと)・倉稲魂命(うかのたまのみこと)・埴山姫命(はにやまひめのみこと)の3神をお祀りする境内社「三柱(みはしら)神社」が鎮座。
はためく左右の幟に囲まれた小さな参道を進むと、静けさの漂うなかに小ぶりで手入れが行き届いたお社が建っています。

こちらは神輿展示室。
社殿同様、木とガラスで作られているので、ディテールまでよく見えます。
左右は氏子町会の神輿、中央の一段高い場所に展示されているのは大正天皇の即位を記念して制作された「鳳輦(ほうれん)」。鳳輦とは天皇の晴れの儀式や行幸用の乗り物で2つの神輿同様、屋根の上に鳳凰 (ほうおう)像を飾っています。

神域を背に石段を下りて、1864年に氏子から奉納された狛犬をじっくり見物。
この狛犬、どこかで似たものを見たことがある…と思い出したのは品川の「荏原神社」。
2社とも子連れ(子取り)型で、表情が雄々しく、くるりと毛が巻いた様が美しいのです。
八兵衛さんという石工が作ったこの子連れ型の狛犬、江戸から令和にかけて雉子神社を守護してきたのでしょう。

左右どちらの狛犬もかわいらしい子供を連れている

参拝後、徳川家光ゆかりの白キジの「白」にあやかろうと、白い食べものを食すべく訪れたのは「広州市場」。JR五反田駅界隈でひときわ行列を作るお店の名物は「広州雲呑麺」(ランチセット1,012円〜)で、他にも白くて丸い肉厚のワンタンがどっさり入ったメニューが豊富に揃っています。

神社の散策でお腹が空いても大丈夫! ボリュームたっぷりのワンタンメニューで腹ごしらえができる

ところで徳川家光といえば、彼の乳母だった春日局と守役の青山伯耆守忠俊が家光を三代将軍にと祈願し、それが成就したお礼として寄進したのが渋谷にある「金王八幡宮」、将軍となり、鷹狩の帰りにしばしば立ち寄った贔屓の茶屋があった目黒の「茶屋坂」がゆかりの地。

本マガジンでは家光のおっかけ(最近の言葉でいえば、家光推し!?)というわけではありませんが、知らずして彼にゆかりある地を訪れていました。約260年続く江戸幕府の基礎を築いたといわれる家光にゆかりある場所が城南地区にはまだまだありそうです。

そびえ立つビルの麓にある雉子神社。現代の街並みと歴史的な景観が見事に融け合っている

歓楽街の印象がある五反田ですが、2024年4月には「旧ゆうぽうと」跡地に「五反田JPビルディング」が完成し、高層階には星野リゾートの街中ホテル「OMO5東京五反田 by 星野リゾート」も登場するなど、これから人の流れがどんどん変わっていきそうな予感。

時代の変化を受け、勢いづいている五反田にある雉子神社は、これからも大きなイチョウの傍で変わらずに街の様子を見守っていくのでしょう。

INFORMATION

雉子神社
東京都品川区東五反田1-2-33
03-3449-3689
http://www.tokyo-jinjacho.or.jp/shinagawa/5257/
(東京都神社庁サイト)