東京はもとより、世界有数のターミナル都市である渋谷は現在、100年に一度といわれる再開発が進んでいます。渋谷駅周辺に誕生した高層ビル群や今や明治通り沿いのにぎわいを創出する拠点となった「宮下パーク」など、街の様相は大きく生まれ変わりました。

さて、忠犬ハチ公がいる「渋谷駅」やファッションビル「SHIBUYA109」を含む「道玄坂」をはじめ、「セルリアンタワー」、「渋谷警察署」、「青山学院大学」などが属する土地の氏神様(産土神)をご存じでしょうか。それがJR渋谷駅より徒歩約6分の場所にある「渋谷金王八幡宮(しぶやこんのうはちまんぐう)」です。

冲方丁の小説『天地明察』の舞台となった神社

シイノキやクスノキ、ケヤキ、イチョウなど豊かな社叢を擁する神社は1092年に創建された古社。応神天皇(八幡大神)を御祭神としています。記録によれば、河崎元家の子・重家が「渋谷」氏に改めた際、渋谷城内にあった神社を「渋谷八幡」と号しました。つまり、この場所こそ「渋谷」の始まりといえます。

八幡神は源氏の氏神。この神を祀っていることに源氏と渋谷氏のつながりがわかります。最初に渋谷姓を名乗った渋谷重家は八幡神に祈願し、男子を授かりました。この息子には「金剛夜叉明王」の「金」と「王」の文字をとって「金王丸」と名付けました。この金王丸が「金王八幡」の神社名の由来といわれています。

渋谷金王丸常信は若い頃から源義朝(頼朝の父)に仕え、忠誠を尽くした人物。元服前の「保元の乱」(1151年)では義朝に従い、初陣ながら活躍したそう。『平治物語』(鎌倉時代)には義朝が長田忠致に謀殺された際、その郎党たちを斬って、一連の出来事を義朝の側室・常盤御前に報告し、その後は僧となって全国を行脚して義朝の菩提を弔ったことが記されています。金王丸は後年、渋谷昌俊(しぶやしょうしゅん)とも土佐房昌俊(とさのぼうしょうしゅん)ともいわれ、1185年に源頼朝の命を受け、源義経を襲ったものの逆に討たれてしまいました。(土佐房昌俊が義経を討つはずが逆に討たれたという「堀川夜討」ですが、司馬遼太郎の小説『義経(下巻)』には、土佐房昌俊は近江生まれの人物として登場)

朱塗りの社殿は徳川三代将軍・徳川家光が世継に決定した時、家光の乳母である春日局とお守り役であった青山忠俊が奉納し、造営したもの。江戸時代のままの姿をとどめています。

社殿の向こうには高層ビルがそびえ、江戸と令和が共存する場面を目の当たりにし、参道にしばらく留まる人の姿も。

江戸初期の様式(権現造り)を現在にとどめている社殿

この社殿が造られた経緯ですが、当時、家光(竹千代)を差し置いて、家光の弟が世継になるという噂があり、青山忠俊は春日局と相談し、自身の氏神であった金王八幡宮に祈願したそうです。やがて宿願が叶い、家光が世継に決まると忠俊は材木や屋根木を寄進し、春日局は百両を奉納。ふたりの報恩により、1612年に社殿と神門が造営されました。

この社殿の傍に植えられているのが「金王桜」。1つの枝に一重と八重の花が混じった珍しい種の桜がここにあるのは諸説あり、一説には源義朝が自邸の「憂忘桜(うすわすれのさくら)」を金王丸に下したものを後年、奥州征伐の帰りに立ち寄った源頼朝が「金王桜」と命名したと伝えられています。

円照寺の右衛門桜、白山神社の旗桜とともに「江戸三名桜」の1つといわれた金王桜

江戸時代初期はわざわざ江戸市中から渋谷まで足を伸ばし(当時の渋谷は江戸郊外だった)金王桜目当ての花見客も多く訪れたようです。桜の側には松尾芭蕉の句碑もあります。参拝したのは、ちょうど桜が見ごろを迎えた日。この桜を楽しみ、スマホにおさめる人の姿も多く見られました。

境内には神楽殿や玉造稲荷社、御嶽社、宝物館などがあり、社務所では見どころを紹介するタッチパネルも用意されています。神楽殿の脇に立つイチョウの巨木の近くにはベンチが並べられ、無料のWifiも使えることもあり、たいてい誰かがくつろいでいます。

末社の「金王丸御影堂」には17歳の金王丸が出陣する際、母親に残すために自身で彫った本人像が安置されています。この木像を拝めるのは年に一度。毎年3月最終土曜日に行われる「金王丸御影堂例祭(金王桜祭)」で開帳されます(写真撮影不可)。生きるか死ぬかわからない戦を前にして、元服前の彼は母親を思い、ひと彫ひと彫、祈りをこめて手を動かしたのでしょう。対峙した木像の若き金王丸はりりしく、潔い人物だったように感じました。

御開帳の儀は約20分間。神職による祝詞が上げられ、朗々とした声に厳かな雰囲気が満ちた

ところで金王丸が信仰していたのが、渋谷最古といわれる「渋谷氷川神社」。かつては金王桜もこの神社に植えられていたそうです。神社の境内では金王丸の名前を冠した奉納相撲「金王相撲」が行われ、当時の習俗をあらわした本にも江戸市中から多くの見物人が訪れ、時の将軍も「渋谷の相撲なら見物に行こう」と言ったとか。

金王丸が信仰した渋谷氷川神社は渋谷金王八幡宮から徒歩約8分。國學院大學の近くに鎮座する
金王相撲の歴史を伝える土俵がある「氷川神社金王相撲跡」

また、金王丸の守り本尊の1体「人肌観音」は長泉寺(渋谷区神宮前)に、同じく守り本尊の「阿弥陀如来」(恵心僧都作)は鳩森八幡神社(渋谷区千駄ヶ谷)に安置されています。渋谷を拠点に活動した金王丸の篤い信仰心が偲ばれますね。

金王丸御影堂例祭には毎年、在りし日の金王丸を偲ぶ人たちが多く集まります。渋谷のあちこちに痕跡を残し、今もなお影響力のある金王丸。彼が生きた時代にSNSがあったら、きっと渋谷のインフルエンサーとなっていたことでしょう。

INFOMATION

渋谷金王八幡宮

東京都渋谷区渋谷3-5-12

Tel 03-3407-1811

https://www.konno-hachimangu.jp