JR原宿駅やNHK放送センターに近い「国立代々木屋内競技場第一体育館・第二体育館」は通称「代々木体育館」。イベントやコンサートで訪れる人からはたいてい通称で呼ばれているのではないでしょうか。2つの体育館は1964年開催の東京オリンピックの競技会場として建設されました。
かつてこの場所は「ワシントンハイツ」というアメリカ占領軍将校の家族が暮らす住宅地で、日本人は敷地内の施設で働く人だけが出入りを許されていました。ここに東京オリンピックの選手村や競技会場が作られることになり、1964年に日本に返還されたという歴史があります。
実際にはアメリカ軍との返還交渉が難航し、代々木体育館が着工できたのはオリンピック前年の1963年2月。その結果、完成したのは東京オリンピック開幕の39日前。工期はわずか18ヶ月でした。突貫工事を余儀なくされた第一・第二体育館ですが、設計を手がけた丹下健三の代表作となり、誕生から半世紀以上経った今もなお、美しい曲線が建物をふちどる前衛的な建築として知られています。新海誠が監督した映画『バケモノの子』でも、バケモノ界の闘技場のモデルとなり、戦闘シーンにも登場しました。
2つの体育館はどちらも屋根が個性的です。半円をずらして向かい合うようなかたちの第一体育館、これは2本のワイヤーケーブルが屋根を吊る「吊り屋根式」と呼ばれる構造。これは競技(選手)と観客の一体感を作るため、柱など視覚をそらす余分なものを省くという設計側の意図でした。吊り屋根式はそれまで橋などに採用されてきましたが、巨大な施設では前例がなく、史上初の挑戦でした。1964年の東京オリンピックでは競泳の会場として使われ、今では国内外のアーティストのライブをはじめ、ファッションショーやスポーツ大会の会場として利用されています。
巻き貝のような屋根をもつ第二体育館(1964年の東京オリンピックではバスケットボールの会場)も第一体育館と同じ構造で、観客席がすり鉢状になっていることからプロレスの試合が行われることも。2つの体育館は人口の多い東京では高い稼働率を誇っています。
代々木体育館周辺は森の社、明治神宮が近くにあることから樹々がふんだんに配され、自然も豊か。美しい曲線の名作建築とともに初夏にはたくさんの若葉が芽吹き、秋から初冬にかけては銀杏の葉が色づいて訪れる人の目と心を楽しませてくれます