かつては東海道・第一宿の「品川宿」として栄えた地、北品川。
京急「新馬場」駅北口から第一京浜に出ると、目の前にはこんもりとした険しい山肌の低山が見えます。
それが「品川神社」にある富士塚「品川富士」です。
神社の鳥居にダイナミックかつ緻密に彫られた龍の姿に目を奪われながら石段を上がると、その途中から品川富士への入り口が設けられています。
早くも“北品川の富士山”登山にいざなわれますが、その前に創建が平安末期に遡る由緒ある品川神社への参拝を欠かすことはできません。
この神社は源頼朝が1187年に海上交通安全と祈願成就の守護神として天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)を勧請し「品川大明神」を祀ったことがはじまり。
その後も関ヶ原の戦いの出陣前に徳川家康が戦勝を祈願。明治元年には東京と人々を守護する東京十社の一社に定められた、高い格式を感じさせる神社です。
拝殿で参拝した後は朱塗りの鳥居の奥にある末社「阿那稲荷(あないなり)神社」上社へ。
ここから湿り気を感じさせる石段と朱の鳥居をくぐりながら木陰の薄暗い階段を下りていくと…下社が御鎮座。
小さな神社や狐の像が置かれた祠が並ぶ一角にはコンコンと湧き出ている泉「一粒萬倍の御神水」があります。
一粒萬倍とは暦の「一粒万倍日」と同じく、種を蒔くと一粒から何万もの米が収穫できるほど縁起が良いという意味。
この御神水は「家門・家業の繁栄を願い、印鑑や銭にこの霊水を注ぐが吉」とされ、この日も近隣の方と思しき男性がポケットからコインを取り出し、洗い清めていました。ちなみに御神水は銭洗いだけでなく、持ち帰って家の入り口と四隅に注ぐのもよいそうです。
ところで、最近はキャッシュレスの時代。そこで、お金以外でもOKだろうと、たっぷりチャージできることを願ってnanacoを洗い清めました。(効果が楽しみ!)
参拝を済ませると、待ちに待った品川富士へ。
前述しましたが、境内につながる石段の途中にはわらじを奉納した足神様こと猿田彦神社に参拝してから登る道も設けてあります。が、境内には 富士信仰に欠かせない「浅間神社」もあり、ここで参拝を済ませて神社脇に設けられた登山道から山頂を目指すのも本流の富士登山らしくておすすめです。
都内にもいくつかある富士山を見立てた「富士塚」は江戸中期から江戸庶民の間に生まれた、富士山を遥拝する山岳信仰グループ「富士講」の信仰に基づいて生まれました。富士塚を「神の山」である富士山に見立てたのです。
この品川富士も「品川丸嘉講社」の信者、約300人によって1869年に築造されたもの。
現在も富士講の人々によって守られ、7月1日には富士山開きが行われています。
傾斜地に造られた富士塚は斜面地と合わせると高さ約16m。都内最大級といわれています。
マグマが冷えて固まった火成岩で覆われ、見るからに荒々しい山肌には所々に関わった人たちの名前を刻んだ石碑なども見られます。山頂まですぐと思いきや急勾配だし、石段の幅も狭くて登りは想像以上に体力を使い、かつスリリング。
山頂まではゆっくり上がっても所要時間は約2、3分でしょうか。
荒々しい山肌の頂からは第一京浜に続く北馬場参道通り商店街や高架を疾走する京急線の電車が眼下に広がっています。
いつも見上げていたものが目の下にある…この新鮮な驚き!
山頂からの眺望は明治時代に築造された富士塚が継なぐ北品川の風景遺産といえるでしょう。
登山後はじっくりと鳥居に巻きついている昇り龍と降り龍を鑑賞し、東海七福神に数えられる福々しい大黒さまにも手を合わせます。
ところで、境内の一粒萬倍の御神水には「洗ったお金は門前・北品川の商家にて使用するが吉」と記されていました。北品川の商家とはきっと品川富士の山頂から見えた北馬場参道通り商店街に連なるお店のことでしょう。
丹念に洗ったお金を歴史ある品川神社と霊峰を富士塚に見立てた品川富士のお膝元で使うことで、福が巡る…。昔から門前町が賑わったように、地元にお金を落とすことも神社参拝の「お作法」といえますね。
information
品川神社
東京都品川区北品川3丁目7-15
TEL 03-3474-5575
https://shinagawajinja.tokyo