東京で相撲のメッカといえば、かつて国技館のあった蔵前や現在の大相撲の殿堂・国技館のある両国を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。国技である相撲は神楽や歌舞伎同様、昔から神社に奉納され、人々の娯楽としても親しまれてきました。
世田谷区には奉納相撲が開催される神社があります。それが宮坂にある「世田谷八幡宮」。この神社は渋谷氷川神社(渋谷区)、大井鹿嶋神社(品川区)と並んで「江戸三相撲」が行われた場でした。境内には土俵があり、奉納相撲がいつから始まったのかは不明ですが、取組の勝敗によって来たる年の稲作の吉凶を占ったそうです。
神社の成り立ちにもふれておきましょう。
一説によると、そのはじまりは平安時代末期の1091年。源義家(八幡太郎)が東北地方で参戦した「後三年の役」からの帰路、豪雨に見舞われ宮坂で10日以上も足止めをくらったことに端を発します。
「後三年の役」の勝利は自身が信仰する八幡大神のはたらきであることに感謝した義家は豊前国(大分県)にある宇佐八幡宮の御分霊を宮坂に祀ることにしました。それが世田谷八幡宮の誕生といわれています。ちなみに宮坂の地名は社(お宮)の脇に坂があったことに由来します。
また、戦国時代の1546年には世田谷城7代目城主の吉良頼康(きらよりやす)により、社殿が再興されたという話も伝わっています。天保年間(1834―1836年)には「江戸名所図会」が発行され、そのなかに世田谷八幡宮も描かれていることから、当時から崇敬を集めた存在だったことがわかります。なお、御祭神は応神天皇(おうじんてんのう)、仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)、神功皇后(じんぐうこうごう)で、「世田谷総鎮守」とされています。
土俵は鳥居をくぐると、右手側に現れます。整地された四角形の土俵からは神社の拝殿が望め、神聖な空気に満ちた、威風堂々とした存在感。それは土俵を見下ろすように設けられている石段との一体感によるものです。イタリアの野外円形劇場を思わせる迫力満点の石づくりの桟敷席は土俵との距離が近く、手に汗握りながら観戦できる臨場感にあふれています。
ちなみに江戸時代、力士は「与力」と「火消しの頭」と並ぶ「江戸の三男」とされ、大変なモテっぷりだったといいます。当時の興行は年に20日。それで1年分のお金を稼いで豪快に遊ぶ…。キップがよく、見た目もたくましい力士は現在同様、人気者だったというわけですね。なお、女性は江戸時代には取組を見ることさえ出来なかったようです。奉納相撲では男性客の威勢の良い歓声が飛び交っていたことでしょう。
石段を上がると、拝殿の近くには「力石」がズラリと並べられています。1つの石の重さはなんと約180kg!昔は「力自慢」に用いられ、男性たちがこの石を持ち上げて力を競ったそうです。相撲に、力石に、このお社はなにやら「力」に縁がありそうですね。
拝殿の前には二対の狛犬たちが。親獅子を見上げる子獅子がなんとも愛おしく感じます。優美な造形の狛犬がこのお社の格をさらに高めているようです。
境内は想像以上に広く、拝殿の奥にも広がっています。沢山の木々が静かな木陰を作る場所には、日露戦争から太平洋戦争までに戦没した世田谷の人々の魂を祀る「世田谷招魂社」やロシアで戦死した人々を弔う「日露戦役記念碑」がひっそりと建っていました。
参拝の締めは、厳島神社へ。朱塗りの社の前には池や小さな庭園が整備され、ベンチでひと休みできます。小さな滝のある池ではカモたちが遊ぶ姿も眺められ、こころが和むことでしょう。
江戸の奉納相撲を今に伝える世田谷八幡宮。その歴史を継承し、毎年9月の例祭では東京農業大学相撲部による奉納相撲が行われます。2020年はコロナ禍で中止されましたが、今年は迫力ある取組が見られることを願っています。
世田谷八幡宮
東京都世田谷区宮坂1-23-20
TEL 03-3429-1732