前回は勝海舟記念館を紹介した「洗足池」ですが、今回は池畔を巡ってみましょう。
大田区千束や雪谷、馬込などの閑静な住宅街に囲まれている洗足池は江戸時代、歌川広重による連作浮世絵「名所江戸百景」の「千束池 袈裟懸松」にも描かれています。この池を作っているのは武蔵野台地の豊かな湧き水。この水をせき止めてできた大池がこの洗足池というわけです。
もともとこのあたりは千束(せんぞく)という地名でしたが、日蓮上人が身延山から茨城に向かう途中、池に面した妙福寺で旅の疲れを癒し、池の水で足を洗ったことから「洗足池」の文字が使われるようになりました。
車の通行量の多い環七と環八の間、中原街道沿いで周辺はビル群が建ち並ぶ立地にありながら、たっぷりとした水面の池の畔はとても静かで、ベンチでは読書をする人も。
周囲約1.2kmの池は深いところで約2m、鯉が泳ぎ、大小のカメ、カエル、そしててカルガモやカワセミが悠々と横切っていく姿が見え、水辺にはアシにガマなど水生植物が繁茂し、美しい池畔を作っています。休日になると生き物好きのこどもたちのはしゃぐ声が絶えない遊び場に。
また、池畔には白い斑点が池に映る月影に見えたことから源頼朝が命名した名馬「池月」の像、三連太鼓橋の池月橋、千束八幡神社、勝海舟夫妻の墓、西郷隆盛留魂碑など、洗足池の長い歴史にふれられます。
池の北側に位置する、小さくて神秘的な弁天島には朱色の橋を渡って行きます。
ここに造営されているのは「洗足池辨財天(厳島神社)」。御祭神は市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)で、社殿の扁額にもその名が書かれています。創建の年代は不明ですが、古来より洗足池の守護神として崇敬されてきました。長い暦のなかで池の中に没したこともある弁天様ですが、昭和初期に多くの人の夢枕に弁天様が立ったことから、昭和9年7月に小島が作られ、現在の社殿が造営されました。この場所が神秘的に感じるのはそんな不思議な話が背景にあるからかもしれません。
大田区立大森第六中学校は勝海舟の別荘「洗足軒」の跡地に建てられています。この中学校では毎週、洗足池公園の清掃活動を行うほか、池の水をきれいにするために水生植物のいかだ作りや水質や土壌の調査、学校で飼育したホタルの幼虫を洗足池に放流する活動も。中学校の体育館に描かれた「持続可能な開発目標(SDGs)」につながる活動の1つが洗足池で行われています。
約20分で一周できる洗足池畔はウォーキングを楽しむ人たちも大勢いますが、非日常の時を楽しむならボートに乗るのが王道といえます。豊かな水面に囲まれ、天を見上げるとなだれ込んでくるのは空の青色!一瞬にして心身が自然と一体となる体験が待っています。