お洒落な雑貨店やカフェが軒を連ね、洗練された賑わいを見せる街、自由が丘。
東急東横線・大井町線「自由が丘」駅正面口に降り立つと、大規模なバリケードに囲まれた一角が現れます。駅前では今、地上15階建ての複合施設「自由が丘ミューズスクエア」の建設が進み、2026年秋の開業に向けて街の風景が大きく変わろうとしています。

建築資材が積み上げられた向こうには、完成間近の建物が姿を現し

この通り沿いに、雄々しい石造りの大鳥居を構えるのが「熊野神社」。
鳥居をくぐると、そこはもう背の高い樹木のこんもりとした緑に覆われた神域。再開発の刻を迎えた自由が丘駅前の喧騒はすっかり消え失せ、あたりはしんと静まり返っています。

参道は「うなぎの寝床」のように奥へと続き、地形に沿って緩やかな上り坂になっています。両脇を鬱蒼とした木々に囲まれたこの参道は途切れることなく、参拝に上がった人々の姿が見られます。誰もが鳥居の前で深々と一礼する光景は、この神社が地域の人々の生活の一部として、深く根付いていることを伝えます。

かつてこの地は「谷畑(やばた)」と呼ばれ、農業が営まれるのどかな村でした。
江戸時代に谷畑に暮らす村人たちが熊野参詣を行い、その御分霊をいただいて持ち帰ったのが、この神社の始まり。建立年は明らかではありません。ただし、1796年に境内の樹木を用いて社殿の改築をした、という記録が残っていることから、少なくとも江戸時代半ばには、すでにこの地に鎮座していたと考えられます。
村人たちに受け継がれてきたお社は「谷畑の権現様」と親しまれ、今では自由が丘と緑が丘の氏神として崇敬されています。

参道を上った正面に、荘厳な権現造りの社殿が姿を現します。現在の本殿は1909年に、拝殿は1967年に改築されました。

社殿の右手は小高い丘となり、戦没者を供養する忠魂碑と境内社の「伏見稲荷神社」が建っています。その左奥を進み、一番奥まった場所に立つと空気は一変。ひときわ神秘的な空気に包まれます。

そこには「夫婦松」と呼ばれる、赤松(女松)と黒松(男松)の見事な2本の松が、天に向かってそびえ立っています。その姿は仲睦まじい夫婦の象徴とされ、良縁成就や夫婦円満を願う人たちが訪れるパワースポットといわれることも。時が止まったかのような静寂と荘厳さ。しばらく2本の松をじっくり見上げていましたが、参道や社殿付近では感じることのない不思議な感覚が胸の奥へと染み込んでいきました。

神楽殿の前には御斎田(ごさいでん)が設けられています。
御斎田とは神に供えるお米を栽培する田んぼのことで、訪れた時は、青々とした稲穂が元気に育っていました。本マガジンで訪れた神社で境内で稲作を行っているところは、羽田空港近くの「穴守稲荷」に続いて2社目。どちらも穀物・農耕の神であるお稲荷様を祀っていることが関係しているのかもしれません。

また、社務所の傍には御神木の欅が堂々と立っています。
推定樹齢は数百年といわれる欅のその逞しい幹と、広く張った枝葉は、神社の守り神のような存在感を放っています。


さて、熊野神社を語る上で欠かせないのが、「八咫烏(やたがらす)」との関係です。
八咫烏は、日本神話において、神武天皇を東征の際に熊野から大和へと道案内したとされる、3本足の伝説のカラス。3つの足は天、地、人をあらわしているともいわれます。
熊野三山では、神の使いとして、また導きの神として、篤く信仰され、自由が丘の熊野神社でも、その信仰が受け継がれています。
この八咫烏はサッカー日本代表のエンブレムに採用されていることから、その存在を知ったという方もいらっしゃるかもしれません。
サッカーボールをつかんだカラスが勝利へと導くシンボルとしてデザインされていますが、そのルーツもまさにこの熊野信仰にあります。
熊野神社を訪れたのは8月上旬。自由が丘の街を歩けば、あちこちに水色の「例大祭」を告げる旗がはためいていました。その旗の頂点に描かれていたのは八咫烏でした。


この秋、自由が丘ミューズスクエアの誕生で、自由が丘駅前の風景
街並みが幾度となく塗り替えられていくなかで、変わらず、受け継がれていくものがある―。
古来から道を示し続けてきた八咫烏は、時代とともに移りゆくこの街の姿を静かに見守り続けていくことでしょう。
目には見えずとも、確かにそこにある祈りの力を旗のはためきの向こうに感じました。
INFORMATION

熊野神社
東京都目黒区自由が丘1-24-12
03-3717-7720
https://www.instagram.com/kumanojinjya/
