名前はよく知っているものの、一度として降りたことのない駅。
皆さんにはありませんか?

羽田空港への往来で利用する京急空港線「穴守稲荷(あなもりいなり)駅はそんな存在かもしれません。
(「京急空港線」あるある!)

最寄駅にその名を冠した「穴守稲荷神社」ですが、1804年頃といわれる創建当時から現在の地に鎮座していたわけではありません。
旧鎮座地は現在の羽田空港(地名は鈴木新田)。なぜ、「移転遷座」という時を刻んだのでしょうか?  その命運を握ったのは終戦から約1ヶ月を経た1945年9月21日、GHQによる48時間以内の強制退去命令(鈴木新田には「羽田江戸見町」「羽田穴守町」「羽田鈴木町」という3つの町があり、住人約3000人は突如、羽田空港の拡張工事を行うという理由から48時間以内に離れることを余儀なくされた)。その後、地元の崇敬者から現在の約700坪の土地が寄進されたおかげで、再建・復興できたのです。

広い境内はきっちりと舗装され、明るく現代的な印象の神社となっている

「穴守」という一風変わった名前は海に近い立地が関係しています。
かつての鎮座地、鈴木新田を開墾する際のこと。激しい風浪で沿岸の堤防に大穴があき、土地に海水が流れ込む事件が発生したそうです。そこで村人たちは穀物・農耕の神のご加護を受けるため、稲荷大神を勧請することに。当初は堤防の上に祠を設けただけのお稲荷様は「(海水の侵入を防ぐ堤防の)穴を守る」ということから「穴守」の名が付けられました。

穴守稲荷の霊験はあらたかで、人が人を呼び、祠は境内を擁する神社となりました。古くから伝わる羽田節の一節に

羽田ではやる お穴さま
朝参り 晩には 利益授かる

と謡われるほど、多くの参詣者を集めるほどに。
伝聞によると旧鎮座地では穴守稲荷を中心に料亭や旅館が立ち並び「川崎大師」と張り合うほど、人々の往来が途切れない一大歓楽街だったとか。ちなみに京急空港線の前身は「穴守線」という名称でした。

GHQによる強制退去で移転遷座後、社殿はしばらくは仮殿でしたが、東京初のオリンピックが開催された1964(昭和39)年6月に現在の姿に再建。まだ成田空港が開港していない頃のこと。羽田空港から入出国した外国人選手団にとって、この神社は利便性のよい“ニッポン”を感じさせる観光地として人気を集めたのでは?と想像します。

穴守稲荷駅前に建つ「コンちゃん」像。衣装はオス・メス用が50着ほどあるそう

魔除けの色といわれる朱色をまとった風格ある社殿の脇には、稲荷神社の精神基盤の象徴ともいえる、数えきれないほどの千本鳥居が続きます。まるでお稲荷様の総本宮、伏見稲荷大社にトリップしたかのよう。その脇には「必勝稲荷」「開運稲荷」など境内社が数社あり、なかには羽田空港が近いせいか「航空稲荷」社も。篤い稲荷信仰を感じずにはいられません。

晴天の下でも奥が見えないくらい長い鳥居の列に吸い込まれそうな気持ちに。脇に続くミニ鳥居が愛らしい

数珠のように連なる奉納鳥居を潜った先には2020(令和2)年に竣工された奥之宮が。
数えると気が遠くなりそうなキツネ像やミニ鳥居が壁にびっしりと安置された宮では「穴守の御神砂」をいただくことができます。この砂は昔、この地に暮らす老人がイタズラをしたキツネを許し、恩返しを受けるという伝承に基づくもの。砂を撒くと「招福」のご利益があるといわれているので、興味のある方はいただいてはいかがでしょうか。

さらさらの御神砂は何を願うかによって撒き方が変わるそう。家内安全・病気平癒など、ご利益は様々

奥之宮に隣接する「キツネ塚」は洞窟に入った時に感じる、冷んやりとした密やかな空間。
なかに入ると、今にも動きそうなキツネ像にドキリとさせられます。彼らの鋭い眼に凝視され、胸の内で叫んだのは「お願い!こっちを見ないで〜」(泣)。

入口には大小様々なミニ鳥居がばらばらに立てかけられている。妖しいキツネの住処に迷い込んでしまったよう

ところで、「お稲荷さん」といえばキツネの神様と思う方もいらっしゃるかもしれません。が、キツネは稲荷大神の「神使い」。「眷属(けんぞく)」とも呼ばれる神さまのお使いをする霊獣です。「キツネ憑き」という言葉があるせいか「陰」のイメージを持たれがちなキツネですが、もともと春になると人里に現れ、稲田の近くで食物を得て子を養う習性があることから、かつては人間に親しまれていた動物でした。一説によると、その習性が食物神である田の神(春先に山から降りてきて秋の収穫後に山に帰る)に一致することから、キツネは田の神の降臨と見なされています。

奥の院の上に築山されているのは「稲荷山」。まるで小さな火山のようです。かつて、穴守稲荷が一大観光地として多くの参詣者を集めた頃も境内には立派な築山があったようなので、昔の姿を取り戻したともいえます。

ぐるぐると階段を上った先、見晴らしの良い頂上にあるお社。膝をついて拝めるよう軾石(ひざつきいし)が置かれている

なお、境内では小規模ながら稲作が行われています。「命の根」を意味する稲は「稲がる=いなり」といわれ、穀物・農耕の神であるお稲荷様への捧げ物。この神社では収穫した稲穂を授与品や祭事の奉納品に用います。

穴守稲荷神社を後に向かったのは、京急「穴守稲荷」駅前にある「ブックカフェ羽月」。見た目は地元の人たちが入れ替わり立ち替わりコーヒーを飲みにやって来るような町の喫茶店。しかし、一歩中へ入ると本や雑誌が壁一面を作る、サブカルチャーとインテリジェンスのにおいが溶け合っている空間が待っています。

穴守稲荷駅を出てすぐにあるブックカフェ羽月。散策の前や帰りなど、気軽に立ち寄れる
好きな本を読みながらの食事を楽しめる。漫画・歴史書・絵本・雑誌など種類も豊富

いただいたのは江戸時代には徳川家にも魚介類を献上するほど漁業が盛んだった頃の羽田を偲ぶメニュー「あさり飯の海鮮かき揚げ丼」(ドリンク付き、950円)。お店の方いわく「昔、羽田ではアナゴや海苔などが沢山採れていた土地柄なので、その歴史を少しでも料理にたくしたいと思って」。また、なめらかな口あたりの自家製「はねだぷりん」(300円〜)も楽しめます。

「はねだぷりん」の味は5種類ほど。何があるかはその日のお楽しみ

さて、ウッディな書棚の一角には羽田の歴史を伝えるコーナーが。穴守稲荷に伝わる砂の伝承やGHQによる48時間以内の強制退去を余儀なくされた子どもたちを描いた絵本などを手にとることができます。

実のところ、穴守稲荷神社がGHQの強制退去でこの街に移ってきたことを絵本で知ったのですが、人は永い間、馴れ親しんだ場を失うと、取り戻したくなる心が動くように思います。それが理不尽な理由であるなら、なおさら。穴守稲荷の再建・復興はこの土地に暮らした多くの人たちが神社に寄せた想いで成り立ち、訪れる者がその想いに応えるとしたら、その街の歴史を知ることなのかも…。羽田空港に着陸間近と思しき飛行機を眺めながら、そんな気持ちが胸いっぱいにこみ上げました。

INFORMATION

穴守稲荷神社
東京都大田区羽田5-2-7
TEL 03-3741-0809
https://anamori.jp