「アンパンマンの生みの親」として知られるやなせたかし。
昨年放送されたNHKの連続テレビ小説『あんぱん』をきっかけに、彼の生涯に興味を持った方も多いのではないでしょうか。
世田谷文学館で開催中の『やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ』は、やなせたかし(1919-2013)初の大規模巡回展です。
担当学芸員の宮崎京子さんは
「この展覧会は昨年から全国巡回してきましたが、当館は当初から企画に携わり、展示構成を担当しました。原画をはじめ、原稿、自筆資料、複製原画、愛用品、図書・雑誌を含めた総数約400点の作品・資料を展示しています。展示構成に合わせて設計した展示空間も、東京会場ならではの見どころとなっています」と話します。

展示は1章〜6章に分けて構成されています。
第1章「やなせたかし大解剖」で、まず驚かされるのは、その活動領域の広さです。
1919年に生まれたやなせは、高知県出身。父を早くに亡くした

東京高等工芸学校工芸図案科(現千葉大学工学部)卒業後、東京田辺製薬(宣伝部)に就職。すでにこの頃から、絵と言葉の両方に関わる仕事を選んでいたことがわかります。
そして、彼を語るうえで忘れてはならないのが戦争体験です。
1941年に召集され、その後中国大陸へ従軍したやなせは、生きて復員しました。しかし2歳下の弟・千尋は海軍の艦艇の乗組員として出征し、23歳でその生涯を終えています。
会場では、弟との思い出を描いた作品『おとうとものがたり』の原画展示も。同作品には、「ぼくはもうすぐ死んでしまうが 兄貴は生きて絵をかいてくれ」という千尋の言葉が刻まれています。

中国での軍隊生活、そして復員後に知らされた弟の死。生きて帰った兄と若くして戦地に散った弟。その対照的な運命が、やなせのなかに一生消えない問いを残したのだろうと想像します。戦争で正しいとされた「正義」が、終戦を境に塗り替えられてしまった理不尽さを目の当たりにしたやなせにとって「正義とは何か?」という問いは、心の中に長くこだましていたのではないでしょうか。

戦後は高知新聞社に入社し、『月刊高知』の編集に携わった後、上京。
三越百貨店の宣伝部に就職し、有名な包装紙「華ひらく」(猪熊弦一郎デザイン)の制作にも携わりました。「Mitsukoshi」の文字は、やなせ自身の筆によるものです。

第2章「漫画 人とのつながり」では、戦後の高知新聞社時代のコマ漫画、ニッポンビール(現サッポロビール)の広告漫画『ビールの王さま』(1954年頃、新聞切抜)や1967年に週刊朝日マンガ賞を受賞した代表作の『ボオ氏』(1967年)など、ストーリーやテーマに合わせて巧みに変わる、バリエーション豊か

「1953年に漫画家として独立して多くの仕事を手がけますが、代表作といえるヒット作にはなかなか恵まれず、模索の日々が続きます。展示作品からは、掲載媒体によって作風を変えていることがわかります。初期作品から『ボオ氏』までの作品群を一覧すると、作者の葛藤や、『パントマイム漫画』と名付けたセリフのない漫画を確立するに至るまで描き続けた作者の情熱が伝わってくるのではないかと思います」(宮崎さん)

この章で、手塚治虫からの依頼で虫プロダクション制作の長編アニメ映画『千夜一夜物語』の美術監督を務めたことを初めて知りました。それまで顔見知りではあったものの、それほど親しい間柄ではなかったという2人。それでも突然の手塚治虫からの電話で仕事が始まったというエピソードに時代のうねりを感じました。
第3章「詩 うたうように生まれる」と第4章「絵本とやなせメルヘン」の展示コーナーに足を踏み入れると、空間のカラフルな色づかいに心躍ります。天井は夜空を思わせる濃紺で、そこに星やちぎれ雲のかたちをしたネオンが浮かび、壁面は赤や青、緑、黄などのグラデーションが映えています。


やなせは雑誌『詩とメルヘン』では編集長として、多くの新人作家を世に送り出しています。デザイナー、漫画家、詩人、編集者……求められたら何でもこなす、ひとつの肩書きに収まらない生き方そのものが、“よろこばせごっこ”のように思えてきます。

また、壁一面には『やさしいライオン』(フレーベル館)の原画の数々も。
「ブールブル いーいこね ねむりなさーい」という子守歌の歌詞(「ブルブルの子守歌」『やさしいライオン』)が壁に大きく描かれ、子どもの頃にこの絵本に出会った人は懐かしさが込み上げてくるのではないでしょうか。

そして、第5章「アンパンマンの誕生」。
アンパンマンが世に出たのは1973年、やなせが54歳の時のこと。
フレーベル館の幼児向け月刊絵本『キンダーおはなしえほん』にひらがなの「あんぱんまん」として登場しました。今とは違って輪郭も表情も素朴で、マントもぼろぼろ。
「自分の顔を食べさせるなんて残酷」「こんな本はこれっきりにしてください」。当時の幼稚園の先生や編集者からは、このような厳しい声が相次いだといいます。

「ドラマをご覧になった方は、『逆転しない正義』を体現したヒーロー像であるアンパンマンが生まれるまでに、長い道のりがあったことをご存じです。展示の冒頭の『おとうとものがたり』をはじめ、作家の道のりを実感いただくような作品を目にすると思います。また、アンパンマン自体は展示の第5章まで出てきませんが、第1章から第4章をご覧になっているうちに、その芽が生まれていることにも気がつくのではないかと思います」(宮崎さん)。


大人たちからは不評だったものの子どもたちの反応はまったく逆でした。自分の顔を分け与えてでも空腹の人を助けるという姿に、幼い読者たちは夢中になったのです。アタマで考える大人たちのはるか先を行くように大きく支持が広がっていった…今や国民的ヒーローと言ってもいいアンパンマンの道のりに胸が熱くなります。

そして、第6章 エピローグでは展覧会のサブタイトルでもある「人生はよろこばせごっこ」の世界へ。晩年のエッセイをはじめ、84歳で『ノスタル爺さん』でCDデビューした歌手活動、ダンディーなステージ衣装、華やかなパーティー映像などから、やなせの年齢を問わない「よろこばせごっこ」にふれられます。


今回、世田谷文学館という「言葉」にも向き合える場で、やなせたかし展を開催する意義について、宮崎さんはこう語ります。

「原画を鑑賞するのみでなく、その背後にある物語を読み取ろうとすることに意味があるのかもしれません。アンパンマンを例にしても、絵本、短編、漫画、絵画、詩画集のように、さまざまなスタイルで繰り返し描かれています。会場内には、作者の言葉を引用したパネルや切り文字が壁面に並びますが、それらの視点は文学館だからこそ生まれるのかもしれません。
言葉にも目を向け、来場者がそれぞれに考えを巡らせるきっかけになれば嬉しいです。展覧会を見た後に、やなせさんの本を手に取って読んでいただけたら、それが新たなスタートになると考えています。
また、さまざまな創作をご紹介しているため、人によって印象に残る作品は異なるのではないかと思います。第3章の、詩の世界を描いたイラストレーション群、詩の言葉とともに描かれた原画や、第5章の30~50号サイズのキャンバスに描かれたキャラクターたちのアクリル画などは、じっくり鑑賞していただきたいです」。


やなせがどれほど多くの肩書きを持っていたとしても、根っこにあったのはただ1つ、目の前の誰かを喜ばせたいという思いだったのかもしれません。
会場を出る頃、手のひらを太陽にかざした時のような、あたたかな気持ちになったのはいうまでもありません。
information

企画展「やなせたかし展 人生はよろこばせごっこ」
会期:2026年6月30日(火)〜9月6日(日)
世田谷文学館 2階展示室
(東京都世田谷区南烏山1-10-10)
03-5374-9111
https://www.setabun.or.jp/
