渋谷と聞いて、いったい何人が「植物園」を思い浮かべるでしょうか。
多くの外国人観光客が闊歩する雑踏のスクランブル交差点、空を突き抜けそうな勢いの高層ビルの群れ、国内外に影響力をもつカルチャーの発信地…。そんな喧騒をすり抜けた先に、まるで緑の息づかいのようにひっそりと佇んでいるのが、日本で一番小さな植物園「渋谷区ふれあい植物センター」です。

この植物園は渋谷清掃工場の地域還元施設として2004年に開園しました。
施設では清掃工場のごみ焼却時に発生する熱が利用され、循環型の施設として機能。2023年にリニューアルオープンしてからは、単なる植物の展示にとどまらず「農」と「食」が交差する場としての役割も果たしています。

光が天からこぼれる“緑の殿堂”というべきアトリウムに足を踏み入れると、まず目に映るのは「水のなかの植物園」。水辺に生きる植物たちが静かにそよぎ、小さな魚たちがその間を泳いでいます。植物に囲まれた湿り気のある空気が漂うなかで水槽を眺めていると「ここは本当に渋谷?」と思わず自問してしまうほど、不思議な感覚に包まれます。


施設のリノベーションを手がけたのは、建築家・谷尻誠さんと吉田愛さんによる「SUPPOSE DESIGN OFFICE」。本マガジンで紹介した國學院大学の「みちのきち」も手がけられています。
通路やテーブルなどの形状が丸みを帯び、圧迫感が少なく、たくさんの緑と調和する安息の場。この建築を見るために来園する人も少なくないそう。

来園者は20〜30代が圧倒的に多く、緑を背景にした写真撮影を楽しむ姿が絶えません。
皆、植物と光に満ちた唯一無二の場所を求めているのでしょうか。もしかしたら、人間の本能が光合成を求めてここへと導いているのかもしれません。


園内は季節や時間帯によって光の射し方が変わる繊細な空間です。
朝の光は東から斜めに、午後から夕方にかけては天と西からの光が降り注ぎ、緑とともに来園者を包み込みます。
園内外で息づいているのはバナナやパパイヤ、グアバ、ヤシのほか、豆の収穫にも成功したコーヒーの木など、約130種。食べられる品種が多いのもこの植物園の特徴です。


1階の奥にある、幻想的なピンクの光を放つのは「Farm Labo(ファームラボ)」。
一見、クラブのダンスフロアにやって来たかのようなネオンの正体はLED(植物成長ライト)で、水耕栽培でサラダ野菜を育てています。その野菜を楽しみたいなら、ぜひ2階のカフェへ。


「ピッツァランチ」(1,595円)は好みのピッツァ2 枚とミニサラダがセットになった人気メニュー。サラダにはFarm Laboのレタスやルッコラなどが使われ、実際に口に入れると濃厚なお味にびっくり!

有機栽培の農家さんが作った野菜のペーストをたっぷり塗った自家製ピッツァは生地にスペルト小麦を使用。軽やかながらもコクのある味わいはビールやワインのグラスを傾けたくなるような、大人に嬉しいひと皿です。
植物園で育まれたハーブをふんだんに使ったドリンクも楽しめます。
淡いピンクが愛らしい「ボタニカルピンクレモネード」(650円)とスパイシーな風味の「ハーブジンジャー」(550円)は摘みたてのハーブが香り立ち、喉をすべり落ちる爽快さに、心までも透きとおっていく気分になります。

「育てる」と「食べる」の距離が近いカフェは植物を五感で感じとる場でもありました。
.jpg)
最上階に上がれば、ビールの原料となるホップやかつて渋谷で栽培されていた「渋谷茶」の栽培風景に出会えます。

「あの渋谷でお茶?」と驚く方もいらっしゃるでしょう。
実は江戸時代から明治時代にかけて、現在の松濤エリアではお茶の栽培が盛んに行われ、周辺一帯には広大な茶畑(総面積200〜300ヘクタール)が広がり、この地で生産されたお茶を「渋谷茶」と呼んでいたそうです。

副園長の齋藤理恵さんは
「調べたところ、なんと渋谷茶の原木が区内の公園に残っていることがわかりました。そこで(渋谷に本社を構える)お茶メーカーの伊藤園さんから挿し芽で育てられた苗を分けていただき、ボランティアの方たちと苗木を育てる取り組みが始まりました。植え付けから1年が経ちますが、伊藤園の栽培担当の方からも『ここの苗木は元気がいいですね』とお褒めの言葉をいただくほど、順調に育っています」。
ツルを伸ばしながら成長するホップは昨年誕生したクラフトビールに用いられました。
全国でも類を見ない、植物園生まれのビール「渋谷東麦酒」は屋上で育てたホップの「カスケード種」「ハラタウ種」「信州早生」の3種を使用。すっきりとした飲み口のラガータイプとコクと香りのあるペールエールの2種が生まれました(ペールエールには前述の3種に加え、ドイツ産ホップを50%使

実は園の外構部にも植物の楽園が広がっています。
ラベンダーやタイム、ミント、レモングラス、エキナセアといった多彩なハーブがそこここに植えられ、風が吹くと、それらの匂いがやさしく鼻をくすぐります。ここでは学校帰りの子どもたちがワイルドストロベリーを摘んで口に入れるという微笑ましい光景も。


1階のショップでは前述したクラフトビールや園内で収穫したハーブやフルーツを使った香り高いクラフト酒のほか、園芸用品、オリジナルTシャツなども販売されています。

なかでも目を引くのが、フェルト素材でできた「LFCコンポストセット」。
生ゴミを分解して堆肥にできるという、サスティナブルでオシャレなバッグです。中身は分解を助ける基材で、このなかに生ゴミを「入れて混ぜる」を約2ヶ月間くり返した後、1ヶ月程熟成させると、立派な堆肥が完成するそう。

「ハーブや野菜の種の量り売りもしています。20円ぐらいから買えるので、ベランダや小さなスペースでも気軽に育てられます。また、無料の家庭菜園講座を毎月開催しているほか、ハーブガーデンのお世話を手伝っていただく『サタデーファーム』というボランティアも募集しています。土に触れてみたい、植物を育ててみたいという方はぜひ体験していただきたいですね」と齋藤さん。

ふれあい植物センターは植物園の概念を超え、植物と人、都市と自然、有機的な循環を体現する場所でした。
帰り道、渋谷スクランブルスクエアのあるショップをのぞいた時、ふと目に止まったのは、あのLFCコンポストセット。ここにも循環の輪が広がっているのだと、思わず「やったゼ!」。なんだか我がことのように嬉しくなりました。
90年代、「渋谷系」と呼ばれる音楽が時代を席巻しました。
令和の今、渋谷系といえば、この植物園を起点にした「農と食のムーブメント」といえるかもしれません。
人、自然、街、農を有機的につなげる土壌に力強く根を張っていくことを願っています。
INFORMATION

渋谷区ふれあい植物センター
東京都渋谷区東2-25-37
https://sbgf.jp