京浜急行本線「立会川」駅から駅前に伸びる「立会川龍馬通り」に歩を進めると、静かな幕末の風を感じます。
まず目に入るのは堂々と佇む坂本龍馬の銅像。
彼の故郷である高知から遠く離れた立会川に「なぜ龍馬?」と不思議に思うかもしれません。


実はかつてこの地には土佐藩の下屋敷(現在の浜川中学校周辺)がありました。屋敷内には江戸湾警備のために浜川砲台が築かれ、若き坂本龍馬も警備にあたったと伝えられています。ちなみに、この下屋敷には明治初期、品川県による「品川麦酒」が設立され、実態は不明ですが、麦酒を醸造する試みがなされていたそうです。

「浜川砲台跡」は龍馬像のある場所からほど近く。
公園の中に鎮座する砲台は1853(嘉永6)年、ペリー艦隊が浦賀に来航したことから、不安と緊張に駆られた幕府が諸大名に命じて沿岸警備を強化させたことに端を発します。

幕府の命令を受け、土佐藩・山内家はペリー来航の翌年に下屋敷の前にある浜辺に砲台を設置。これが浜川台場と呼ばれる防衛拠点になりました。ちなみに浜川とは立会川の古い呼び名です。
土佐藩が配備したのは計8門の砲台で、公園に復元されているのは「六貫目ホーイッスル砲」。
実際にそのレプリカを間近で見ると、堂々たる姿に思わず感嘆の声がもれるほど。というのも、当時の土佐藩は近代兵器をいち早く取り入れており、本物の大砲を備えることができた数少ない藩の1つでした。

一方で、他の多くの藩は準備が整わず、丸太を削ってそれらしく見せるだけの大砲を置いていたとか。土佐藩の士気が伝わってくるエピソードです。
園内には桜の大木が植えられ、訪れた時はちょうど花風吹が舞い踊る最中でした。
桜の華やぎと静寂を伝える大砲が共存する光景が、遠い幕末の時代に誘います。

さて、立会川と旧東海道は、切っても切り離せない深い関係にあります。
かつては庶民の暮らしを支える往来の道であると同時に、参勤交代の大名行列や徳川将軍の上洛の際にも使われました。1863(文久3)年、第14代将軍徳川家茂の上洛を描いた錦絵(歌川広重2代画)には東海道・鈴ヶ森を行く行列が描かれています。

旧東海道を「大森海岸」駅方面へ歩いていくと、やがて「鈴ヶ森刑場跡」にたどり着きます。
この刑場は1651(慶安4)年に幕府の御仕置場として設置され、220年の間に10万人以上もの罪を背負った人々が露と消えました。
この刑場が1871(明治4)年に廃止されるまで、由比正雪の乱に加担した丸橋忠弥をはじめ、天一坊、白井権八、八百屋お七、白木屋お熊など、歌舞伎や講談などを通じて現代でもその名を知られる人たちも処刑されています。

現在も残る「鈴ヶ森遺跡の碑」のそばには、さまざまな供養塔をはじめ、当時の磔台や火炙り台、首洗いの井戸などが現存し、否が応でも痛ましい過去を思わせます。眺めていると緊張感で肌が刺されるよう。

しかし、そのすぐ脇には絶え間なく車が行き交う第一京浜が走り、さらに目線を上げると京浜急行の電車が忙しなく往来する光景が飛び込んできます。緊張感が轟音にかき消されるわけではありませんが、過去の凄惨な記憶を留める場所と令和の現代の対比に感情が揺さぶられました。

旧東海道にかかる「浜川橋」についてもふれておきましょう。
この小さな橋は別名「泪橋(なみだばし)」。伝馬町牢屋敷から鈴ヶ森刑場へと護送される人が裸馬に乗せられて通る道の途中にありました。最後の別れを告げることも許されない時代、親族や親しい人々は密かにこの橋に駆けつけ、涙を流して見送ったといいます。

その深い哀しみの情景から、この橋はいつしか「泪橋」と呼ばれるようになりました。川幅の狭い立会川にかかる橋は、人を想う気持ちがあふれ出た場所だったのです。


お昼時に立ち寄りたいのが旧東海道沿いにある老舗の「そば会席 立会川 吉田家」。
創業は1856(安政3)年、坂本龍馬や山本鉄舟も舌鼓を打ったという歴史を刻みます。

暖簾をくぐると、江戸の粋を引き継いだような趣深い空間が広がり、さらに奥へ進むと立派な鯉が優雅に泳ぐ中庭もあり、心を和ませます。テーブルに着くと心も体もふっとほどけ、幕末をたどる小さな旅に安息をもたらしてくれるよう。

「天ざる」(2,800円)は朱塗りの大きな器に丁寧に盛り付けられた蕎麦が、上品な佇まいを見せています。
傍らには天ぷらの盛り合わせが添えられ、そのラインアップはエビ、ズッキーニ、スナップエンドウ、メゴチ(魚)。一口いただくと、衣が薄く、素材の味を活かした揚げ上がりに感嘆!
群馬県赤城産蕎麦のうまみをギュッと封じ込めた十割蕎麦は甘みや香り、そしてホロ苦さが一体となった、滋味深さ。最後まで旨さが走り続けます。
つゆの薬味には刻みネギとわさび、そして大根おろしが用意され、蕎麦の風味をぐっと引き立て、バイプレイヤーの良き仕事ぶり。

そして蕎麦湯が蕎麦猪口に注がれる頃、食後の余韻は名残惜しいものへと変わります。
白濁した蕎麦湯は蕎麦の豊かな風味が溶け出し、とろりとした舌ざわり。こんなトロトロの蕎麦湯はめったにお目にかかれないかもしれません。口の中に広がると、坂本龍馬もこの濃厚な蕎麦湯を楽しんだのだろうか?と、思いを馳せてしまいます。

さて、吉田家から勝島運河方面に足を運ぶと、そこは「しながわ花街道」と呼ばれる散策道が広がっています。
土手には季節を彩る花々が地面に描かれた水彩画のようで、なんともやさしい風景。

運河沿いには鳥のさえずりや屋形船の揺れる音が微かに響きます。
古びた釣り船小屋や赤い提灯の揺れる屋形舟が運河に並ぶ景色はどこか懐かしく、対岸の高層ビルが林立する都会の風景を背に、時の流れが少しゆるやかに感じられます。
この勝島運河は立会川が流れ出る場所。
築かれた堤防はこの地域を高潮や津波から守る、重要な役割を担っています。


運河の対岸に映るのは無機質な輝きで林立する高層ビル群。そこは1943(昭和18)年に誕生した人工島の勝島。この名前をつけたのは当時の帝国海軍で、時代背景を考えると「勝」という文字はゲン担ぎだったのかもしれません。
令和の今、勝島のランドマークといえるのが「大井競馬場」。こちらもまた「勝負」にゆかりのある場所なので、なんだか不思議なつながりを感じます。

花を楽しみながら散策する人や停留する船が映る穏やかな水辺の風景の向こうには、興奮と熱狂が脈打つように響いています。
運河を隔てて静と動が同居。これも街の奥深い魅力となっているのでしょう。
立会川は派手さこそありませんが、歩けば歩くほど目に映る風景が心に沁み入るような街です。
江戸の鼓動を感じる歴史と風情。
この街に吹く風をきっと若き坂本龍馬も感じたことでしょう。
information

大経寺(鈴ヶ森刑場跡)
東京都品川区南大井2丁目5-6
03-3762-7267
https://daikyoji.jp/index.html
そば会席 立会川 吉田家
東京都品川区東大井2-15-13
03-3763-5903
https://www.soba-yoshidaya.com