都市の風格を決めるものは「河川と緑」の量である。

そんな説があります。とくに川においては交通の発達していない昔はモノや文化を運ぶ役割を担い、地域の大動脈といえる存在でした。古くから絵画に描かれ、ロマンティックな気分を添えるセーヌ川が流れるパリ、由緒と斬新が同居するテムズ川の流れるロンドンなどを思うと納得です。

さて、その説を東京の城南地区に当てはめると? 真っ先に思いつくのは世田谷区二子玉川です。

2019年の台風19号で氾濫し、被害をもたらした多摩川。兵庫島周辺では堤防改修工事を行っている(2022年5月現在)

◼︎ニコタマダムの原点といえる「玉川高島屋ショッピングセンター」

多摩川とともに歩んできた二子玉川ですが、江戸時代は将軍家に献上されたこともあるほどアユ漁が盛んで、「玉電」とよばれた玉川電車が明治40年に開通すると、川沿いには獲れたてのアユ料理を提供する料亭や旅館、玉川遊園地やプールなどが造られました。川には鮎漁を楽しむ観光船も浮かんでいたそうです。一方、川を臨む国分寺崖線上の緑豊かな高台には住宅が建築され、別荘地として栄えました。

1955(昭和30)年当時の地図を広げてみると多摩川河川敷には読売玉川飛行場が、現在の玉川高島屋のある場所から鎌田、宇奈根、喜多見にかけては畑が続き、行楽地としての顔をもちながらも、のどかな町並みだったことがわかります。

1967年に発行された二子玉川周辺の地図(「今昔マップ」より)。この頃はまだ読売飛行場や二子玉川園が存在している

今も多摩川では春になると稚鮎が放流されていますが、1970年代は川の汚染でアユが全滅の危機にさらされたこともありました。実はアユ以外にも放流されていた魚がいます。それはサケ。多摩川にはサケがのぼってくることもあり、1982(昭和57)年の新聞記事ではサケの稚魚の放流を伝えています。

川向こうに富士山が眺められる風光明媚な二子玉川は今ではセレブリティを思わせる「ニコタマダム」という言葉を生み出すほど、洗練された街へと変貌を遂げました。その一石を投じたのは1969(昭和44)年11月にオープンした「玉川高島屋S.C(ショッピングセンター)」。1966(昭和41)年に渋谷から東急田園都市線が長津田まで延長開通となり、沿線に暮らす人々が渋谷まで行かなくても二子玉川でショッピングできるという利便性の良さや高度経済成長期の景気の良さも手伝い、賑わいが生まれました。

国道246号沿いに建つ玉川高島屋S.C。建築家の隈研吾が手がけた本館ファサードには自然と一体化するように植物が多様されている

1958(昭和33)年から岡本一丁目で暮らす女性は「それまで買い物は自由が丘か渋谷に出かけていたものの、高島屋が出来てからは二子玉川に足を向けるようになった」といいます。デパートそのものがファッショナブルな都会のようで明日の夢があり、感覚を楽しませてくれたそうです。ちなみに1980(昭和55)年の世田谷区「統計書」によると、都の勤労世帯の平均収入月収は35万6901円(世帯主平均年齢42歳)で、平均生計支出額は26万533円。当時の二子玉川を含む世田谷区民の生活レベルは全国でも高い水準にあり、区内には高島屋の贔屓客が多くいたのではないでしょうか。

◼︎京の町家風情をデザインした「柳小路」

高島屋初の郊外出店となった、玉川高島屋S.Cが二子玉川にオープンして50年以上経ちましたが、その周辺にも時代のニーズを吸い取るように、さまざまな施設が展開されています。髙島屋の西側エリアに石畳に柳、京都の町家を思わせる低層の建物が並ぶ「柳小路」が誕生したのは2004(平成16)年のこと。それ以降も柳小路は徐々に拡大され、キラリと個性を放つ飲食店が集まっていることで知られています。

大正~昭和にかけて二子玉川に存在した花街をイメージした「柳小路」

「ウフウフ」は柳小路の一角にあるフレンチビストロ。「骨太肉料理」をテーマにするこのお店では前菜もメインもお肉を満喫できるメニューが楽しめます。ランチタイムも一頭丸々仕入れる豚肉を使った料理が堪能でき、多くの人で賑わいます。

柳小路錦町にある、フランスのビストロ料理が楽しめる「ウフウフ」

高島屋や柳小路というファッショナブルな施設が展開されている一方、高島屋本館の裏通りには昔ながらの商店街もあります。自家製のお団子を販売する和菓子屋や定食屋、鮎ラーメンのお店、花屋などが軒を連ねるのは「二子玉川商店街」。百貨店とは趣の異なるほっこりとした庶民的な顔を見せてくれます。

◼︎楽天の移転で活気づいた二子玉川ライズのグリーンインフラ

玉川高島屋から玉川通りを渡り、二子玉川駅方面へ。この一帯は大規模な商業と文化の複合施設「二子玉川ライズ」。古くは玉川電気鉄道が経営する「玉川遊園地」があり、この施設は経営母体が変化するたびに名前を変えていきました。最後は「二子玉川園」となり、1985(昭和60)年に閉園。その跡地は住宅展示場やテーマパーク「ナムコ・ワンダーエッグ」や「いぬたま・ねこたま」などを経て、2007(平成19)年にライズとなるべく再開発が始まりました。

昭和36年(1961年)に撮影された二子玉川園駅前。世田谷郷土資料館提供

2010(平成22)年以降、ライズ内の施設が続々開業。楽天本社のある二子玉川ライズ内「楽天クリムゾンハウス」は今や、高島屋と同じく二子玉川のランドマークといえます。楽天本社が東品川から二子玉川に移転してきたのは2015(平成27)年のこと。社員や事業部の拡大を見込んでのことでした。多国籍かつ大所帯の会社の影響は大きく、二子玉川の人の流れが大きく変わった印象を受けます。

ライズにそびえ立つ「楽天クリムゾンハウス」。コロナワクチン接種会場として世田谷区民に解放された

都心にはないダイナミックな自然環境が身近にあることも二子玉川ライズの魅力です。この一帯を挟んでいるのは国分寺崖線上にある上野毛の丘陵地と多摩川。この豊かな自然と親和性が感じられるのはライズに配されている緑豊かなルーフガーデンです。ここには多摩川に生息する生き物が暮らすビオトープをはじめ、湿性植物の群れ、菜園、原っぱ広場などが設けられ、緑と水のある風景が広がっています。また、原っぱ広場の奥にある青空デッキからは多摩川が一望。いたるところにベンチがあるので、良い日和にはランチタイムをここで過ごす人も日常の風景。

かつて渋沢栄一は「人は自然なくして生活できない」と田園都市構想を提唱しました。今や仕事の場にITインフラは欠かせませんが、ライズに佇んでいると自然環境を整える「グリーンインフラ」も同じくらい人間を取り巻く環境に必要なものになっている…そんなことを強く感じずにいられません。

パリにはセーヌ川を挟んで右岸と左岸があり、古くから右岸のブルジョア文化VS左岸の学生文化(あるいは保守VS革新、古典VS前衛)といわれてきました。二子玉川も国道246号(玉川通り)を富士山に向かって右側には老舗の風格ある玉川高島屋や京の佇まいを思わせる柳小路が、そして左側にはブックカフェの領域を超え、新感覚の家電やシェアラウンジが注目される「蔦屋家電」や多国籍の人々が働く楽天クリムゾンハウスを擁するライズが位置します。

そのままパリの右岸と左岸に当てはめることはできませんがどことなく似ているエッセンスを感じます。両側を回遊して感じるのは、訪れる人の心に働きかける強い個性と発信力。それがこの先、どのような二子玉川を創っていくのでしょうか。この街は時代の目撃者に観察する楽しみを与えてくれます。

柳小路にあるカフェ「リゼッタ 二子玉川店」
アンティーク調のインテリアがアクセントとなったシンプルなお店ではプリンや季節のフルーツを使ったスコーンが人気