古くから、現世と異界をつなぐ境界線といわれる坂。
その傾斜が急であればあるほど、どこか異なる世界へと迷いこむような錯覚を覚えます。

JR目黒駅からほど近い、三井住友銀行の脇を入ると、そこは「ドレメ通り」。
その通りに立った瞬間、視界は自然と足元に落ちます。
まっすぐ目を凝らした先には、まるで体ごと吸い込まれそうな急傾斜の坂道が伸びています。
その名は「行人坂(ぎょうにんざか)」。

大圓寺や雅叙園など歴史的な名所にも縁が深く、現在も多くの人々が往来する目黒を代表する坂の1つ「行人坂」

かつて“行人”と呼ばれた修行僧たちが行き来したことから名付けられ、808(大同3)年に創建された古刹「目黒不動尊」への参道でもある約140mの急傾斜の道には、古から連綿と続く参拝者の想いが刻まれているようです。

江戸時代の錦絵からも急坂の様子が伝わってくる「行人坂」(歌川広重「江戸名勝図会」)

坂の途中、ふと立ち止まると、左手に深い緑に抱かれた「大圓寺(だいえんじ)」の大きな山門が現れます。
創建は江戸時代初期の元和年間(1615〜1623)。開いたのは、出羽三山のひとつ「湯殿山(ゆどのさん)」で修行をしていた修験僧・大海法印(だいかいほういん)です。大日如来の仏の姿を表す「一字金輪仏(いちじきんりんぶつ)」を奉じて山を下った彼が、この地に祈願道場を開いたのがこのお寺の始まりといわれます。

急坂の途中に建つ堂々とした山門。右側に見えるのは目黒川沿いにあるアルコタワー

大黒天と十一面観音像を安置する本堂に参拝すると、緻密な彫刻がなされた木鼻に圧倒されます。
獏に獅子、中央には龍が彫られ、そのどれもが生命を吹き込まれているかのような躍動感。当時の職人による卓越した技と信仰の深さが表れています。

こちらに祀られている大黒天は、江戸城の裏鬼門(南西の方角)を守るために安置されたもの。「徳川家康公のお顔をモデルに、天海大僧正が自ら彫った」と、古い文献に伝わります。

大黒天とともに十一面観音像が安置される本堂。履き物を脱ぎ、正面から仰ぐことができる
精緻な彫刻が施された本堂の木鼻。装飾のみならず、魔除けとしての意味合いも持ち合わせる

江戸の世、行人坂と大圓寺にはふたつの火事の記憶が刻まれています。
ひとつは、1772(明和9)年に起きた「明和の大火」(行人坂の大火)。
この火災は大圓寺が火元といわれ、火の手はたちまち強風にあおられ、白金から神田、湯島、下谷、浅草までを焼き尽くす未曾有の大火となりました。
放送中のNHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』でも、この大火に包まれた江戸が描かれていたのは記憶に新しいところ。

この大火災は城中の櫓までも延焼する事態となり、大圓寺はその後76年間も再建を許されなかったそうです。

気になる部位に願いを託し、そっと金箔を貼る本堂前の「薬師如来」

そしてもうひとつの火にまつわる話は、このお寺に眠る僧・西運に関係するもの。
西運は歌舞伎の演目『好色五人女』に登場する八百屋お七の恋人・吉三といわれます。

時は明和の大火が発生する89年前の1683(天和3)年。
本郷駒込町の八百屋の娘・お七は、火事(天和の大火)によって避難した先の寺で小姓・吉三と恋に落ちます。束の間の避難生活の後、16歳のお七は恋慕う吉三に会いたいばかりに、自宅に火を放ちます…。

当時の放火は大罪。
お七は江戸市中を引き回しされた後、火あぶりの刑に処されました。
処刑された場所は以前立会川散策の記事で紹介した鈴ヶ森刑場です。

浄瑠璃や歌舞伎の物語にも登場する八百屋お七(歌川豊国「落葉集」 1856年 国立国会図書館蔵)

一方、お七の事件後、吉三は剃髪し、西運と名を改めました。
そしてお七の菩提を弔うため、念仏を唱えながら諸国を巡る旅に出ます。やがて江戸に戻った西運は、大圓寺坂下の明王寺(現在のホテル雅叙園の一部)に身を寄せ、目黒不動尊と浅草寺への「隔夜日参一万日」という念仏行を始めます。

阿弥陀堂の手前にある西運の石碑(右)とお七地蔵(左)

雨の日も、雪の日も、念仏を唱え続けた西運。
四半世紀以上にわたるこの行を通じて、彼は人々から浄財を集め、行人坂に石畳を敷き、目黒川に雁歯橋を架け、さらに明王院の境内には常念仏堂を建立しました。
大圓寺の境内には彼が1704年に架けた橋の石材が今も本堂の前に残されています。

西運の思いも刻まれている、江戸時代から伝わる橋の石材

さて、境内の崖に沿って鬱蒼と林立する竹藪の下には、歳月を結晶化したような石仏の群れが目を奪います。
520体を数える「五百羅漢石仏群」は、明和の大火で命を落とした人々を弔うために、石工が50年の歳月をかけて刻んだもの。1体1体をよく見つめれば、穏やかな微笑みを讃えたもの、物思いにふけっているもの、今にも泣き出しそうだったり、怒り出しそうだったり、千差万別。なんだか人の一生を語っているかのようです。

崖の斜面に広がる石仏群が、まるで時の流れとともに呼吸しているよう

石仏群の手前には不思議な存在感を放つお地蔵様が佇んでいます。
顔も手も溶けてしまったように見えることから、その名も「とろけ地蔵」。江戸時代、ある漁師が海から引き上げたものといわれ、お寺に安置されてからは「悩み事をとろけさせてくれる仏さま」として、人々の信仰を集めてきました。

お地蔵様の輪郭がとろけるように浮かぶのは祈りの熱に包まれたから?
深い緑に覆われた崖の麓に石仏群、その脇に本堂、社務所と続く

異界の縁のような勾配を感じさせる行人坂。
その坂を見守るように、しんと佇む大圓寺。
坂の傾斜が急であればあるほど、目には見えない「あちら側」(目には見えない世界)のあわい(間)の気配が濃くなる—。

江戸の世、恋するあまりに火を放った娘とその記憶を背負い続けた僧。
やがて江戸の町を焼き尽くした明和の大火もまた、火にまつわる因縁の延長にあるように思えてなりません。

かつて西運が水垢離が行った、お七と西運の物語を今に伝える井戸は雅叙園の敷地にある

坂と寺に刻まれたのは、抗いがたい「火の宿命」だったのでしょうか。
そこには、名状しがたい“魔”のようなものが宿っていたのかもしれません。

民家やマンションなど、都市の生活感が隣り合わせる。真夏は上り坂の苦労がうかがえる

令和の今もそれがただの迷信とは言い切れない気がするのは、この坂を行き来する度にどこか日常と非日常の境が揺らぎ、見えない世界と地続きになっているような気配を感じてしまうからかもしれません。

information

大圓寺
東京都目黒区下目黒1丁目8−5
03-3491-2793
https://meguro-daienji.com