「ハラカド」「オモカド」のある明治通りを新宿方面へしばらく進むと、左手にそびえ立つのが「神宮前タワービルディング」と「セコム」のビル。
都会の様相を具現化したビルの狭間に隠れるように佇む小さな鳥居が「東郷神社」表参道の入口です。
通りがかる人々は「まさか、こんな場所に神社が!」と驚きの表情を隠せません。


東郷神社は江戸末期から昭和初期を生き抜いた海軍の英雄である東郷平八郎(とうごう へいはちろう)を祀る神社。彼は日露戦争(1904〜1905年)における「日本海海戦」で、世界屈指の戦力といわれたロシアのバルチック艦隊を破り、日本の歴史に名を刻みました。戦局を大きく変えた「T字作戦(トーゴーターン)」は、彼の名を世界に知らしめた戦術として語り継がれています。

神社の創建は1940(昭和15)年。
1934(昭和9)年88歳で他界した東郷平八郎の功績を顕彰する神社を造営してほしいと多額の献金が当時の海軍省に集まったことから、明治神宮の宮司が鎮座地を選び、創建されました。海軍の名将を祀っていることから、創建からまもなく「勝利の神様」と崇められるようになり、受験生やスポーツ選手などが祈願に訪れる神社として有名になりました。

表参道から境内に足を踏み入れると、自然との調和を感じさせる神池を囲む美しい庭園に続きます。

池に渡された橋から天を仰ぐと青色がなだれ込んできそうなほど大きな空が広がり、左右の水場に錦鯉の群れを望むことができます。
訪れたのは冬枯れの1月下旬でしたが、ここは四季折々の自然の美しさが堪能でき、春には桜が咲き、秋には紅葉が池に映えます。
また、この神池は昭和20年の東京大空襲の際、逃げ遅れた人が池の中に飛び込み、難を逃れたという逸話も伝わっています。単なる景勝地ではなく、ここには自然が人を守ったという歴史が刻まれているのです。


神池のある庭園を抜けて石段を上がると、ぽっかりと視界が開ける
そこには静謐な空気に包まれた空間が広がり、厳かな神門をはじめ


ダイナミックな木造りの手水舎の脇で手を合わせる人が後を絶たない石碑があります。
それは14歳の少年たちを志願兵と採用した海軍特別年少兵(通称「特年兵」)の「殉国碑」。
特年兵は通常の少年兵よりも2歳も若く、海軍史上最も若い志願兵です。終戦までに約17,200人もの少年たちが特年兵として海軍に従事しました。1971(昭和46)年に高松宮同妃殿下をお迎えして除幕式が行われ、碑の傍には香淳皇后の御歌を記した碑板も立っています。

14歳で特年兵に志願し、祖国のために尽くした彼ら。
その背景に一途な愛国心を感じます。まだあどけなさが残る年齢でありながら、大人と同じように覚悟を決め、国の未来を背負おうとした彼らの想いに、胸が締めつけられます。
どっしりとした柱が印象的な神門をくぐると、社殿へ。
かつてこの場所は鳥取藩主・池田侯爵の邸宅地でした。
東郷平八郎の偉業を讃える神社が創建された際には檜と欅で築かれた、お社が誕生しましたが、東京大空襲の戦火で祈りの場は容赦なく飲み込まれることに…。時が流れ、初めて東京オリンピックが開催された1964(昭和39)年に鉄筋コンクリートの社殿として甦りました。


社殿の左側ではためくのは4色の「Z旗」。
この旗は日露戦争の決戦に臨む日本の覚悟を表したもので、東郷平八郎率いる連合艦隊に掲げられました。
誇り高い旗は現在、神社の「勝守」の意匠にも使われ、人々に勇気を授けています。

その脇にある社務所には多種多様なお守りが並んでいます。
前述した「勝守」をはじめ、東郷平八郎が自ら記した「勝」の文字を焼印した「勝札」、愛らしいサンリオキャラクターたちが描かれた「身体健康守」など、さまざまな祈りのかたちが揃っています。

東郷平八郎の遺した言葉に「咲くもよし散るもよし野の山桜、花のこころは知る人ぞ知る」というものがあります。
この言葉には、どんな結果であれ、全力を尽くした者だけが悔いのない人生を歩めるという意味が込められています。
まもなく訪れる桜の季節。
ピンク色の綿帽子のような花々で人々を魅了する桜も、散り際に儚さと美しさが交錯する桜も、どちらも潔く凛とした姿を見せてくれます。
受験や資格取得、そして恋もまた同じ。
今、向き合っている挑戦は咲いても散っても、人生の物語となります。
—だから、一歩ずつ前へ!

原宿や表参道からほんの少し足を伸ばすだけで、別世界のように心を癒してくれる東郷神社。
私たちに静けさと平和の大切さ、そして挑戦への心構えを授けてくれます。
information

東郷神社
東京都渋谷区神宮前1-5-3
03-3403-3591
https://togojinja.or.jp