JR「恵比寿」駅東口から動く通路「恵比寿スカイウォーク」で、「YEBISU BREWERY TOKYO(ヱビス ブルワリー トウキョウ)」に向かっていると、ブルワリーの洒落っ気ある広告が左右の柱に続きます。日常を超えた空間へと導いてくれる、なんと心ときめく仕掛け!
何しろ、恵比寿という駅名は「日本麦酒醸造有限会社」(現在のサッポロビール)が1890(明治23)年に製造・販売を始めたヱビスビールの貨物専用駅だったことに由来します。つまり、恵比寿はヱビスビールの原点であり、故郷。
恵比寿のビール醸造場は1988(昭和63)年に幕を下ろしたものの、2024(令和6)年4月に36年ぶりに復活。
古くからのヱビスファンや恵比寿との繋がりを知る人は、スカイウォークの広告に「おかえりなさい!」と、胸の真ん中が熱くなることでしょう。
そんな想いを抱えながら、2024年4月に恵比寿ガーデンプレイス内にオープンしたYEBISU BREWERY TOKYOのエントランスへ。
足を踏み入れると、そこは現代の地下宮殿。太くて背の高い柱がそびえ、中央の奥まった場所には赤銅色の醸造釜が置かれています。“ご神体”と表現したくなる、どことなく神々しさを感じさせる醸造釜。遠目にはオブジェにように見えますが、実際にビールを造るべく稼働しています。
この施設はブルワリー、ミュージアム、タップルームの3つで構成され、ヱビスビールの歴史や製造工程を学べるほか、ここで醸造されたビールを楽しむことができます。
今回は2024年5月からスタートしたガイドツアー「YEBISU the JOURNEY」に参加し、施設内を巡りました。
ツアーの始まりはヱビスビールに関する古い写真やラベル、広告などが壁いっぱいに展示された「ジャーニーラウンジ」から。参加者は受付を済ませると、ここに集合します。ヱビスコンダクター(ガイドさんのこと)からこれから始まるツアーについてのお話に耳を傾けながらジワジワと身体中に巡るのは高揚感。入国審査を終え、航空機の搭乗を待つ前の心が踊り出しそうなアノ感覚に似ています。
最初に案内されるのはミュージアム。
ここではヱビスビールの誕生から現在までの歴史を貴重な展示物や写真、映像とともに学んでいきます。
舶来もののビールの将来性に着目し、日本で本格的な事業が始まったのは明治時代。
東京や横浜の資本家によって、1887(明治20)年9月、「日本麦酒醸造会社」が設立されました。当初は資力に不安な面もありましたが、三井物産会社が株主になったことで、ようやく経営が安定しました。
日本麦酒醸造会社の「ヱビスビール醸造場」が誕生したのは会社設立から2年後の1889(明治22)年10月。販売はその翌年からです。
恵比寿(当時は下渋谷村)にはレンガ造りの3階建てのモダンな醸造場が誕生。ビールの本場ドイツから醸造家を招き、ドイツ製の設備を導入しました。ミュージアムのガラスケースには、当時のラベルデザインや瓶が展示されています。
ところで、その頃のビールの値段はいくらだと思いますか?
1904(明治37)年頃のビール1本の値段は20銭。当時のかけそば1杯が2銭というから、ビールはその10倍!ヱビスコンダクターによると20銭は約4,000円とのこと。現代の居酒屋で「とりあえずビール!」なんてとても言えない、高級品でした。
ヱビスをはじめ、日本にビールを広め、大衆化にタクトを振った人物がいました。
「東洋のビール王」といわれた、馬越恭平(まこし きょうへい)です。
三井物産から日本麦酒に派遣された彼は工場直送のヱビスビールの美味しさを宣伝するため、現在の東京・銀座8丁目に日本初のビヤホールをオープンさせたり、社員に半被を着せてお正月に「初荷(はつに)」といわれる練り歩きを企画したり。右に出る者なしの実行力のあるアイデアマンでした。
ところで、ヱビスビールは1900(明治33)年の「パリ万国博覧会」で30ヶ国以上から出品された中から金賞を受賞、1904(明治37)年の「セントルイス万国博覧会」でもグランプリに輝いています。この快挙はビール造りに関わる人たちの大きな励みになったことでしょう。
1906(明治39)年9月にはヱビスビールの日本麦酒、大阪麦酒(アサヒビールの前身)、札幌麦酒(サッポロビールの前身)という大規模な合併が行われ、「大日本麦酒株式会社」が誕生。市場占有率は約7割に近づきました。社長を務めたのは合併に奔走した馬越恭平でした。
ビールが大衆化されたのは大正に入ってから。
1919(大正8)年には「ビール党」という言葉も聞かれるようになりました。今でも飲み会の席で飛び交っているビール党は大正時代に生まれた言葉だったとは!
戦時色が濃くなり、物不足が深刻化した1939(昭和14)年、ビールにも公定価格が定められ、翌年から配給制に。1943(昭和18)年ビールのブランド別のラベルが停止され、統一商標は「麦酒」となりました。
戦争によってヱビスビールの歴史が途絶えましたが、戦後の1949(昭和24)年、大日本麦酒株式会社は「日本麦酒株式会社」と「朝日麦酒株式会社」に分割されて復活。
恵比寿の街と歩んできた足跡も紹介されています。
国鉄(現JR)から購入した車両を改装したビヤレストランの運営を初めて知る人もいらっしゃることでしょう。1985(昭和60)年、工場の敷地内にオープンした「ビヤステーション恵比寿」はお客さんがビールを楽しんでいる光景が山手線の電車からも眺められ、恵比寿の新しい観光スポットとなりました。
ヱビスビールが出てくる小説や漫画も展示されています。
こちらはグルメ漫画の金字塔『美味しんぼ16巻』。
「このヱビスビールは、昔から麦芽とホップだけで作られているんです」と、全方向の食にめっぽう強い東西新聞社文化部記者の山岡士郎が語っています。
明治時代に始まった恵比寿でのビール醸造ですが、需要の拡大に合わせて増設するには立地面の限界があり、さらには物流事情や環境面の問題もあったことから、この地で1世紀続いたビール造りは1988(昭和63)年に幕を下ろすことになりました。
ついに、ブルワリーの“ご神体”こと醸造釜を間近で観察できるエリアへ。
ここに見えているのは醸造場全体の約2割で、この裏側にも地下にもブルワリーエリアが広がっています。ちなみに1つの釜の醸造量は約1,000リットルで、全体の年間醸造量は約130キロリットルだそう。
日本ではビール醸造の免許に必要な年間最低製造量が60キロリットルなので、規模はマイクロブルワリーといえるかもしれません。
醸造釜の左は「マテリアルライブラリー」。
大きなスクリーンには醸造工程がポップなアニメーションで紹介されています。
その下にはビールの原材料となるホップや麦芽が並び、実際に匂いをかいだり、触れることもできます。
ツアーの最後は、おまちかねのフラッグシップビール「ヱビス ∞ (インフィニティ)」の試飲。タップルームの一画にある「ビアストーミングルーム」に移動し、スパイシーナッツとともにブルワリー直送のビールをいただけます。
ヱビスコンダクターの「乾杯!」に合わせてツアー参加者全員で「ヱビス!」のかけ声で場が盛り上がり、同じテーブルになった方たちとの会話が始まります。短い時間ではありますが、ビールがご縁を結ぶ心なごむ時間。
明治時代にヱビスビールが誕生した時に用いられていたといわれる
「ビール好きの母を驚かせたくて、このツアーを申し込みました。出来立てのビールはやはり美味しいですね」と話すのは高橋遥さん。耳にビールジョッキのピアスが揺れるお母さまの薫さんも「ヱビスビールの歴史が面白く紹介されていましたね。写真もたくさん撮りました。今日は来てよかったです」とやわらかい笑顔で語ります。
ツアーはヱビス ∞ の試飲で終了ですが、もっとビールを味わいたい気分ならタップルームに移動することもできます。なお、こちらのタップルームはガイドツアーに参加しなくても利用可能。この日も多くのビール党の方たちがグラスを傾けていました。
ガイドツアー「YEBISU the JOURNEY」は所要時間約45分、参加費は1,800円(税込)。ネットから予約可能です。
ビールはヱビスという方も、「最近クラフトビールに凝っているんだよね〜」という方も、はたまた日本のビールの歴史について知りたい方も楽しめるYEBISU BREWERY TOKYO。
まだまだ暑い日々が続きそうです。
喉を通り抜ける爽快な瞬間がたまらない、出来立てのビールを体験してはいかがでしょう。
information
YEBISU BREWERY TOKYO
東京都渋谷区恵比寿4-20-1恵比寿ガーデンプレイス
03-5423-7255
https://www.sapporobeer.jp/yebisu/communication/yebisu-brewery-tokyo/