緑深い代々木公園の手入れの行き届いた花壇の向こうに、洋風の建物が佇んでいます。
三角屋根にペパーミントグリーンの窓枠がなんだかアメリカの片田舎を舞台にした映画に出てくるタイニーハウスのよう。パラソルの下ではコーヒーを片手にくつろぐ人々の姿も見えます。この建物の名前は「ドトールパークカフェYOYOGI」。

けれど、この建物は最初からカフェとして造られたものではありません。
そのヒントは、店内の壁にある展示パネルのコーナーにありました。木枠はところどころ塗装が剥げ、「旧建物の窓枠を再利用したもの」と書かれています。つまり、この建物は新しく建てられたのではなく、かつてここに実在した建物の姿を再現したものだったのです。

かつて存在した建物の名前は「オリンピック記念宿舎」。
1947年に「ワシントンハイツ」と呼ばれた米軍家族住宅として建設され、1964年の東京オリンピックの際にはオランダ選手団の宿舎として利用されました。老朽化により一度は姿を消しかけたものの、来園者の憩いの場として整備されたのが、この可愛らしい外観のカフェ。

かつての姿を伝える資料がオリンピック記念宿舎の窓枠を再利用したフレームによって縁取られている

ワシントンハイツの名前をたどると、さらに古い記憶に行き着きます。
それは、1909年、陸軍省がこの地に整備した代々木練兵場です。お正月や天皇誕生日には大観兵式(軍事パレード)が大々的に行われましたが、普段は軍事訓練以外、人の気配はほとんどなく、子どもたちの遊び場となっていたそうです。

明治時代に整備された代々木練兵場(出典:大阪毎日新聞社 編『答礼使御来朝記念写真帖』中巻,荒木利一郎,大正11. 国立国会図書館デジタルコレクション)

代々木練兵場について調べたところ、興味を引いたのは、この土地が日本における飛行の歴史と深く結びついていることでした。
1910年、徳川好敏陸軍大尉と日野熊蔵陸軍大尉がそれぞれの操縦機で日本国内初の動力飛行に成功したのが、この地。それから10年後の1920年には、イタリア陸軍のアルトゥーロ・フェラリン中尉らが、ローマから東京までおよそ18,000キロメートル、109日間をかけて2機の複葉機でこの地に降り立っています。その際、世界初の欧亜連絡飛行という偉業を一目見ようと、当時およそ20万人もの人々が代々木練兵場に詰めかけたとか。

代々木練兵場に到着したイタリア機と歓喜する群衆(出典:『歴史写真』大正9年・7月號・併3456月,歴史写真会,大正2-10. 国立国会図書館デジタルコレクション )

練兵場という厳(いかめ)しい響きをもつ軍事施設に民衆を心躍らせる華やかな歴史が眠っていたとは!

終戦後にはGHQに接収され、827戸を擁する米軍家族が暮らす住宅地「ワシントンハイツ」へと姿を変えました。突如出現した「東京の中のアメリカ」は芝生の庭付き住宅に、洗濯機や冷蔵庫、家具付きの近代的な暮らし。衣食住もままならない当時の日本人にとっては、夢のような暮らしがそこには存在していました。

ワシントンハイツの住宅のほとんどはそのままオリンピック選手村の宿泊施設に使われた(東京都提供)

ワシントンハイツにはGHQ将校とその家族が暮らし、出入りを許された日本人デザイナーたちは将校夫人たちから洋服の仕立てを頼まれることもあったといいます。デザインのヒントになったのはアメリカの雑誌。そこには、当時の日本ではまだ見たことのないシルエットやディテールが並んでいました。実地でアメリカ仕込みのファッションにふれながら腕を磨いたデザイナーたちのなかから、後に日本のファッション界を牽引していく人材も現れます。

カフェは2026年オープン。一枚板の大テーブルにはケヤキの無垢材、壁には香川県産庵治石を使用
「YOYOGIドッグ」(560円)は北海道の4種チーズソースのほか、明太ポテトも。「お団子パフェ 苺」(860円)は桜色のソフトクリームに粒あんと白玉、あまおう苺を添えて

ファッションはほんの一例ですが、秋尾沙戸子さんの著書『ワシントンハイツ―GHQが東京に刻んだ戦後―』(新潮社)は、当時の日本人にアメリカのライフスタイルがどれほど強烈な憧れを植えつけたのかを描いています。占領期という時代そのものを映す鏡のような場所がワシントンハイツだったのです。

丹下健三が設計した国立代々木競技場。吊り屋根構造による躍動的なフォルムはこの地のランドマークであり続ける(東京都提供)

そして1964年、東京オリンピックの開催にあたり、このワシントンハイツの一部が選手村として利用されることになりました。世界各国から集まった選手たちが、この地で束の間の共同生活を送ったのです。東京都が保管する当時の記録写真には、くつろぐ選手たちの姿や談話室で語らう様子が残されています。

選手村で過ごすオーストラリア選手団(東京都提供)
各国の選手たちはTokyoに集い、語らったことだろう(東京都提供)

カフェを出て少し歩くと、鬱蒼とした木々に囲まれた一角にもうひとつ、オリンピックを記念する、あるものが残されています。「東京オリンピック記念樹木見本園」です。

1964年、この地で青春を過ごした各国の若者たちが持ち寄ったのは母国を代表する樹木の種。集められた22ヶ国24種類の種は、日本各地の林業試験場で育てられ、1967年に苗木となってこの代々木の地に還ってきました。

カフェの裏手にある「東京オリンピック樹木見本園」にも足をのばしたい

チョウセンモミ、セイヨウカジカエデ、ニセアカシア……プレートに刻まれた樹木名の隣には、それぞれ寄贈国の名が添えられています。かつての樹木の種は半世紀以上の歳月を経て、今もこの場所で静かに枝を伸ばし続けています。

アフガニスタンから寄贈された「ヒマラヤゴヨウ」

カフェでくつろぐ人々のなかにはこの土地の来歴を知らない人もいるかもしれません。けれど、彼らが座っているその足元には古から連綿と続く東京の記憶(土地に根付く数奇な運命といえるかも)が、幾層にも積み重なっています。

ある時は馬がいななき、ある時は異国の飛行士を讃え、ある時は日本人の出入りが制限された後に世界中のアスリートがやって来た地。共通しているのは人が集まり、言葉を交わし、ともに過ごしてきたということ。この地はいつの時代も誰かと誰かが出会う場所であり続けてきたといえます。

information

ドトールパークカフェ YOYOGI
東京都渋谷区代々木神園町2-1
03-6804-7509
https://shop.doutor.co.jp/doutor/spot/detail?code=1012550