三軒茶屋を発った東急世田谷線の小さな電車が行く先々には、都会の輪郭を少しずつやわらげながら、時間の歩みまでゆるやかに感じられる景色が広がっています。
上町駅もその1つ。降り立って住宅が連なる城山通りをまっすぐ北へ歩くと、やがて左側にひっそりとした緑の小山が現れます。大規模な看板があるわけでも、城門のような重厚な構えがあるわけでもありません。
この住宅街の一角に何気なく溶け込んでいるのが「世田谷城址公園」です。

「世田谷区内唯一の歴史公園」という情報だけを仕入れて現地を訪れると、その小さな園内に少し肩透かしをくらうかもしれません。けれど、それは公園として整備されている範囲が限られているためであり、かつての城址はもっと広い領域に及んでいます。

世田谷城は1366年、足利一門の吉良治家によって築かれたと伝えられています。ここを居城とした吉良氏は北条氏の領地内にありながらも「世田谷吉良殿」と称され、領主のような存在だったようです。この記事で紹介している、さぎ草伝説の主人公である常盤姫も時の城主の側室として、この城に住んでいました。

園内に足を踏み入れ、急な傾斜の石段を上がると視界がひらけます。そこは郭跡。遠くに建設中の世田谷区役所の新庁舎が望めます。中世に築かれた城の一角に立って、令和の新庁舎を眺める…この時間の重なりが何とも不思議な感覚!

世田谷城は天守閣を持つような華やかなものではなかったようです。どちらかといえば山城の類で、戦国の世を防御するための役割も担っていたものと思われます。その1つが空堀。これは水を引くことが難しい中世の山城に多く見られるもので、堀の落差を大きくすることで、敵の侵入を防ぎました。なお、盛土をすることで堤防状の防壁となった土塁も残されています。

城址というには地味な印象の公園には、なぜか訪れる人が途切れません。
その理由のひとつには、隣接する豪徳寺の存在があります。今や国内外から多くの参拝者が訪れる、招き猫発祥の地として知られるこの寺。実は、豪徳寺もまた世田谷城域だったといわれます。

豪徳寺の山門へ続く参道の脇に目を向けると、塀の向こうに建つ集合住宅の敷地の一部がこんもりと小高く盛り上がっています。周囲の平地と比べると、そのふくらみは面白く、意図的に残したようでもあり、かつてお城だった時代の名残がここにも⁉︎と探究心をかきたてます。中世に想いを馳せると、集合住宅の風景が別の表情を帯びてくるよう。

豪徳寺は吉良氏が城内に建てた「弘徳院」を前身とし、後に井伊家の菩提寺となりました。世田谷城域は豪徳寺の裏手(旧尾崎テオドラ邸がある界隈)まで広がっていたともいわれます。

さて、世田谷城の終焉は歴史の大きな転換点と重なります。
それが1560(天正18)年、豊臣秀吉による小田原征伐。吉良氏が庇護を頼っていた北条氏が滅ぶと、世田谷城もその運命をともにしました。今年のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』でこれから描かれるであろう小田原征伐が、まさに世田谷城が幕を引いたきっかけになったのでした。秀長・秀吉兄弟の物語と世田谷の片隅で中世の遺構が息づくこの公園は歴史のどこかでつながっているのです。


現代の世田谷の住宅街に、600年の時間が静かに横たわっている…。世田谷城址公園は一見すると地味な公園に映るかもしれませんが、土地に刻まれた永い暦はこれからも継承されていくのでしょう。
information

世田谷城址公園
東京都世田谷区豪徳寺2-14-1
03-5431-1822
https://www.city.setagaya.lg.jp/02075/9121.html
