建売住宅という住まいの原点を訪れるお客様に「香り」という魅力を添えたい—。
城南マガジンを運営する株式会社アイネストでは、建売住宅の内覧
今回は調香を担当された佐藤亜紀子さんと齋藤さんに香り作りの舞台裏や調香の哲学、香りを日常に取り入れるヒントについてお話をうかがいました。
「住宅の香り」に込めた、アイデンティティの追求
⸺今回、建売住宅の香りを開発されるにあたって、特に大切にされたポイントは何でしょうか?
佐藤:数多くの物件を手がけられる中で、それぞれに異なるインテリアや建物の雰囲気がある空間に適した香りはなんだろうかと考えました。私たちは常に、クライアントのアイデンティティが感じられる香りを創ることを目指していますので、アイネストがどのような理念や想いで建物を作られているか、内覧にいらっしゃるお客様のことやどのような香りをイメージされているのかなど、さまざまなことをヒアリングさせていただきました。
リクエストいただいたのは「深呼吸したくなるような香り」。実際に香りを試していただきながら、イメージに合うものを組み合わせていき2ヶ月ほどで完成しました。

⸺ アイネストの香り作りにおいて、何か新たな発見はありましたか?
佐藤:ホームページを拝見した際は、トップページに「建売住宅の常識を覆す」という力強いスローガンがあり、とても革新的でパワフルな企業という印象を受けました。白と黒を基調とした、パキッとしたデザインだったので、当初は力強い香りをイメージしていたのです。
ところが、実際に世田谷区の物件を拝見し、社長や物件担当の方々にお目にかかると、良い意味で予想を裏切られました。皆さまの佇まいはとてもやわらかく、爽やかで、心地よい空気感を感じました。物件のインテリアや内装に用いられた穏やかな色調とも相まって、むしろやわらかな香りの方がこの空間にふさわしいのではないかという、新たな気づきを得ることができました。
また、オフィスの近くに桜が有名な目黒川があることもヒントになり、桜を感じさせる「トンカビーン」の香りも加えることになりました。


「調う」香りは天然精油へのこだわりから
⸺TS Aromatiqueが掲げていらっしゃる「アロマ調香デザイン®」について教えていただけますか。
齋藤:私たちは、香りを作る目的を「天然の香りで調(ととの)える」ことだと考えています。これは単に良い香りであるだけでなく、その香りが心地よさをもたらし、心身をバランスの良い状態に導くことを意味します。押し付けがましくなく、風が流れた時にふわっと香るような、自然な心地よさをを追求しています。
そのこだわりとして、天然の精油だけを使います。合成香料が悪いというわけではありませんが、私たちは植物が生きるために放つ香りの力を借りることで、より心地よい空間が生まれると信じています。天然精油の香りは強すぎないので、香りに馴染みのない方にも好まれやすい傾向があります。とくに日本に生息する木々の香りは、男女問わず多くの方に安心感や懐かしさを与えるようです。
その大きな利点は、香りが残りにくいことです。合成香料は香りが強く残りやすいのですが、天然精油はふわっと香って、やがて消えていく。これは、特に住宅のように香りが残ってしまうことを気にされるお客様にとってもメリットとなります。この引き際の美しさが、住まいという空間での使用に非常に適しているといえるかもしれません。
昔は香りのデザインという概念がほとんどなく、アロマというとトリートメントやクラフトレッスンが主流でした。私も最初はそうでしたが、精油のブレンドを専門とする人は少なかったんです。
学校では精油の成分を暗記したり、トリートメントの手技を学んだりするのですが、香りの療法=アロマセラピー、ということで、香りがいい必要がある。しかもその方にとって心地よいことはとても大切です。例えばラベンダーはリラックス効果があると言われますが、苦手な人もいます。そこで、人それぞれに異なる「リラックスできる香り」をきちんと理解し、それを表現できる精油を選定できるよう、香りの追求を続けてきました。
2013年から一般社団法人プラスアロマ協会で調香を教えているのですが、そのなかで、精油の機能性(効能)と、空間やお客様の感情、素材などを総合的に考慮し、唯一無二の香りを創り出すことを「アロマ調香デザイン®」と呼んでいます。


コロナ禍を経て高まる香りへの意識
⸺コロナ禍以降、一般の方の香りに対する意識も高まっているように感じますが、どう思われますか。
齋藤:以前はアロマというと「癒される」といったイメージでしたが、最近は心地よいライフスタイルの1つとして、その重要性が広く認識されるようになりました。
私たちは週に1500〜2000もの香りをかいでいると言われています。そのなかに心地よい香りがあるだけで、人生が変わると言っても過言ではありません。
以前は香りの導入がタブーとされていたレストランやバーなどの飲食業界でも外との切り替え、心身を調えるという意味として注目していただくこともあり、さまざまな分野からのご依頼が増えています。これは、私たちがこだわる天然の精油が、植物や農作物と同じように、自然なものとして受け入れられているからだと感じています。

現場に足を運び、五感を磨く
⸺嗅覚は五感の1つですよね。普段から五感を磨くために何かされていることはありますか?
齋藤:香りの旅ですね。とにかく現場に行くことを大切にしています。林業や農業など香りの素材を作っている生産者や蒸留家のところに足を運び、実際の植物が生育している現場を知り、蒸留作業の手伝いをさせていただいたり、その土地の工芸作家さんの工房を訪ねたりします。
地域の伝統工芸家の方々との交流も多く、彼らが手掛ける「手仕事」の魅力に惹かれます。他にも建築家やインテリアデザイナーの方々とお仕事をさせていただく中で、香りのデザインと共通する部分が多いと感じます。

⸺さまざまな香りの空間演出やプロダクトを手がけられています
齋藤:HOTEL THE MITSUI KYOTOとSIX SENSES HOTEL KYOTOでは、ホテルを象徴する「シグネチャーセント」や併設するSPAで用いる「アロマブレンドオイル」などを開発させていただきました。
HOTEL THE MITSUI KYOTOでは、ホテルのシンボルでもある美しい庭園の枝垂れ桜、黒松、赤松の木々から着想を得て香りを創りました。日本固有の檜や柚子に加え、京都産の杉や黒文字といった、その地域の植物の精油を丁寧に選び抜き、奥ゆきのある和の空間体験を提供したいと考えました。
一方、SIX SENSES HOTEL KYOTOの香りのコンセプトは「鞍馬の山々が育む空気と水」です。京都・鞍馬の深い森に降り注ぐやわらかな朝の光、鴨川の清らかな水源としての自然な環境、そして古くから人々の暮らしを潤してきたこの地のエネルギーに心を寄せ、その空気、木々、風、水滴の気配をテーマに、静けさと新たな始まりへの期待感に満ちたひとときを香りで表現しました。
また、これらのホテルではブレンドオイルやアロマミストなどオリジナル製品も手がけており、ホテル全体の香りのトータルプロデュースを担当しています。
香りを日常に取り入れるヒント
⸺精油の香りを日常に取り入れたい時、気軽に楽しめる方法を教えてください。
齋藤:専用の機器がなくてもティッシュに数滴垂らして小皿に置いておくだけでも十分香りが広がります。私は旅先のホテルの部屋に入ると、まずティーツリーの精油をティッシュに垂らして部屋に置きます。すると、香りが広がりクリーンな空間になります。
精油は時間が経つにつれて香りが変わり、酸化することもあります。使用期限は未開封なら約3年が目安ですが、開封後は1年以内に使い切るのがおすすめです。特に柑橘系の精油は酸化が早いので、半年以内に使い切るといいでしょう。そうすることで、安心してお使いいただけると思います。

使用期限を過ぎた精油は、本来の香りや効果は期待できなくなります。でも、すぐに使えなくなるわけではないので、お手洗いやキッチンの消臭用などに数滴垂らすと、最後まで使い切ることができるようになります。
保管する際は、涼しい場所を選ぶことが大切ですね。ワインセラーのような常に15℃前後の温度が保てる場所が最適です。ただし、冷蔵庫での保管は避けましょう。出し入れする際の温度差で容器内に水滴ができ、それがカビや劣化の原因になることもあるのでご注意ください。

⸺1日を通して、また季節によって香りとの付き合い方をおしえてください。
齋藤:朝は活力を与える柑橘系、夜はリラックスできる香りというように、時間やシチュエーションに合わせて香りを使い分けてはいかがでしょう。夏に用いるとしたら体感温度が4度下がると言われるペパーミント、冬にはほっと温かい気分になるユズなどもおすすめです。

インタビューを行ったのは渋谷区千駄ヶ谷にあるTS Aromatiqueのオフィス。
ドアを開けた途端、そこはかとなく心地よい香りに包まれ、思わず「何か特別な精油を使われているのですか?」と尋ねたところ、「置いてある精油がなんとなく漂っているのです」とのこと。
香りが空間にもたらす力、そしてその場所の「顔」となる存在感を身をもって体験したインタビューとなりました。
