関東で毎年11月の酉の日に行われる「酉(とり)の市」をご存じでしょうか。これは鷲神社や大鳥神社など「鷲」や「鳥」にちなむ神社やお寺のお祭(年中行事)で「お酉さん」と親しまれています。境内で売られている夥しい数の熊手が華やかで、熊手を購入した人に火打ち石を鳴らし、威勢よく手締めする光景は年末の風物詩。城南地区では目黒区最古の神社、大鳥神社の酉の市が多くの人でにぎわいます。

酉の市の起源は江戸時代。「本酉」といわれた大鷲神社(東京都足立区)の周辺に暮らす農民たちによる収穫祭が発祥といわれています。大鷲神社の祭神である鷲大明神は別名を鶏大明神といい、農民たちは鶏を神とみなし、鶏肉を食べることを禁じ、生きた鶏を奉納したそうです。

また、江戸後期の酉の市を牽引したのは浅草の鷲神社。現在もその盛況ぶりは変わらず、花園神社(新宿区)、大國魂神社(東京都府中市)と並んで「関東三大酉の市」の1つに数えられています。

福をかき集める縁起物「熊手」

酉の市の代名詞といえるのが、境内で売られる熊手です。その価格帯は幅広く、神社のお札が付いた800円ぐらいのシンプルなものから細部まで豪奢な装飾が施された10万円以上のものまで。熊手は「運をかき集める、取り込む」縁起物とされ、前年に購入した古い熊手は神社に納めます。熊手を求める人のなかには「熊手のサイズをだんだん大きくすることで運が開ける」と語る人も。

JR目黒駅から権之助坂を下ること、約7分。目黒通りと山手通りが交差する場所に建つ目黒大鳥神社は社名の「おおとり」=「大取」で、たくさんの運を「取り込む」といわれ、商売繁盛・開運招福の神として信仰を集めてきました。この神社の酉の市も江戸時代から始まり、毎年朝から夜まで多くの参拝者が鳥居の前に行列を作ります

とくに提灯がともされる夜は、天井まで覆い尽くす熊手の数々に圧倒されます。柿色の光に照らされた、七福神や鯛、俵、おかめなど縁起物をちりばめた熊手は眺めるだけでワクワク。初冬のピリッとした空気が漂う夜空の下、あちこちから火打ち石の音や「イヨーッ」と手締めの声が響き渡るたびに胸が高鳴り、お祭りならではの高揚感に包まれます。

また、神社の内外で食べものの屋台が連なるのも酉の市のお楽しみ。毎年、目当ての味を求める人でいっぱいです。

◯三の酉の年は火事が多い!?

十二支の酉の日は12日ごとに回ってくることから「酉の市」は年によって、2回もしくは3回開催されます。2020年の酉の市は11月2日(月)、11月14日(土)、11月26日(木)で、3回行われました。

3回目の酉の日を「三の酉(さんのとり)」と言いますが、昔から「三の酉の年は火事が多い」と伝えられます。都市伝説ととらえる方もいらっしゃると思いますが、これには説があります。

まず、1つ目はお祭りが1ヶ月に3回も行われると、それだけ提灯をたくさん使うことから。江戸時代は電気がなく、ロウソクで灯りをともしていました。ロウソクが倒れると出火するので、三の酉の年は火事が多いと言われていました。

2つ目の理由は1657年に本郷本妙寺より出火した「明暦の大火」。10万人以上が命を落としたといわれる大惨事で、この年の11月は奇遇にも「三の酉」だったとか。

世田谷区で入浴施設を営む女性は毎年、孫も含めた親子三代で目黒の大鳥神社に参拝するのが習わしといいます。「昔は仕事が終わった夜にお参りに行っていたけど、近年は孫が幼い小から日中に行くことが多いですね。夜に行く酉の市は灯りとたくさんの熊手が美しくてウットリします。うちの家族にとって酉の市はその年のすす払い的な行事ですね」と話します。

1年を締めくくり、新しい年を迎えるための「酉の市」。江戸時代から始まったお祭りはこれからも連綿と続き、未来へと文化を継承していくのでしょう。

ぜひ一度足を運んでみてはいかがでしょうか。