肩の力を抜いて姿勢を正し、筆先に墨をつけて半紙におろす最初のひと筆。
“今ここ”に向き合う「写経」を体験できるのが「寺カフェ 代官山」です。

テラスに仏教の五色幕が掲げられたお店が位置するのは旧山手通りと駒沢通りが交差する鎗ヶ崎交差点の近く。近所には人気ライブハウス「代官山UNIT」もあります。
代官山、恵比寿、中目黒にも徒歩圏内という恵まれた立地にあるカフェを運営するのは浄土真宗本願寺派「生田山 信行寺(しんぎょうじ)」(神奈川県川崎市)。仏教を身近に感じてもらうことを目的に2013年にオープンしました。

駒沢通りで鮮やかな五色幕が目を引く「寺カフェ 代官山」

仏教で極楽浄土に咲く花といわれる蓮の絵が飾られた店内の中央部には柔和なお顔の阿弥陀如来像が安置されています。ここでは法衣を着用したお坊さんが駐在し、接客も担当。お坊さんとお話をすることはもちろん、さまざまな催しも用意され、写経をはじめ、人生相談、法話会、坊主バー、念珠作り、英会話教室など、お寺色の濃いものからそうでないものまでが体験できます。

江戸時代の作と伝わる阿弥陀如来像

ところで、国内には境内をライブやイベント会場として開放したり、お休み処やカフェを設けるお寺も珍しくありません。このように開けたお寺は数多くありますが、仏教の教えを広めるには誰かが来るのをじっと待つのではなく、自らが外に出てから行うという信行寺のようなポリシーのお寺はまだまだ少ないように感じます。

しかもカフェの立地は若者が多く、全国区のファッショナブルな街。オープン当初はなかなかエッジの効いた取り組みが異色に思えたかもしれませんが、今では普通にカフェを利用する馴染み客も多く、街との親和性を感じさせます。

自然光が気持ちよく射し込む店内。ついつい長居してしまいそうな安らぎに満ちている

写経に話を戻しましょう。
写経の所要時間は90分(体験料1人1,500円、1ドリンク付き)。
表と裏にお経が印刷された用紙の上に半紙を敷き、文字を書き写して(なぞって)いきます。
なぞる、という一見容易に思える行為ですが、これが普段からパソコンやスマホの入力に慣れているせいか最初は手指に緊張が走り、思った以上に一文字に時間がかかります。
しかし、上から書き写しているはずなのに、筆致に自分の書き癖が徐々に出てくることに驚き!没頭しているうちに“自分モード”が作動するようです。写経の表面を書き終えた後は山の頂から麓の景色を眺める時に感じる達成感に似ていました。

「仏説無量寿経」を写経。このお経を解説した用紙もいただける

「印刷のない時代、写経はお経様を広めるために大切な作業でした。現代でも修行であり、写経することに功徳があるともいわれます。書き写しているうちに、いつの間にか筆にご自身の癖が現れていると、おっしゃる方は多いです。けれど、写経は上手に書き写すことが目的ではなく、繰り返し行うことで雑念をはらい、精神を集中することに意味があります」と穏やかに話すのは、寺カフェで写経をご指導いただいた信行寺の僧侶、高橋証規(しょうき)さん。

言葉を大切に、わかりやすく、やさしい話し方をされる高橋証規さん

写経は有り難い教えを説くお経の文字を書き写すという地味な作業ですが、実は自分自身の本質と一体化する時間。没頭、無我の境地、フロー状態ともいえます。よくアスリートがフロー(ゾーン)に入るとパフォーマンスが高くなると語りますが、きっとその感覚に近いもの。寺カフェには写経体験に訪れる外国人観光客も多いそうですが、写経がフロー状態に入れることを無意識のうちに感じているのかもしれません。

時間内に書き写せなかったら、半紙を持ち帰って続きを書くことも可能

お寺が運営するカフェだけに食事メニューも伝統的な精進料理やそれに近いものと思いきや、ランチタイムには肉、魚からメインを1品、季節の野菜をふんだんに使用したデリを3品選べる、彩りがよく充実した定食を提供。仏教とは接点のない近所で働く人たちが昼食をここで過ごす様子も日常の光景です。

スイーツも「みたらしきなこのフレンチトーストセット」(1,600円)や「わらび餅セット」(1,300円)、パフェやフラッペなどを用意。とくにフレンチトーストは季節によってトレンドを意識した食材を使うなど、ゲストをもてなす気持ちが伝わってきます。

和のエッセンスを取り入れたフレンチトーストはボリューム満点

仏教色を感じさせるのが「しんらんコーヒー」(650円)で、浄土真宗を開いた親鸞聖人が好んだ小豆が添えられています。ほのかな甘みの煮小豆をそのままいただくのもよいし、コーヒーに入れて味変を楽しんではいかがでしょうか。

親鸞聖人はどのような小豆の食べ方がお好みだったのだろう。しんらんコーヒーと共に古に想いを馳せる

また、平日は予約制で朝粥も提供。
炊き上がりが味わえる朝粥はお代わりも可能なうえ、付け合わせの品も沢山並び、食べ応えがあると好評だそう。

「お寺は古くから地域の交流の場で、誰でも訪れることができる場所です。寺カフェも同様で愚痴や友達に話せないような話があれば、私どもが聞きます。心のモヤモヤを吐き出すことで軽くなることがあります。ご希望があれば、女性の僧侶にもおつなぎしますよ」と高橋さん。話すことは「放す(離す)こと」につながるのでしょうか。

福岡県春日市のお寺で生まれ育ち、仏教系の大学を卒業後、信行寺に就職した高橋さんに普段滅多に行かない故郷のお寺(現在、外国人の僧侶が住職を務める)との付き合い方にアドバイスを求めたところ、「気軽にお寺に立ち寄ってはいかがですか。お坊さんと何を話そう…と考える必要はありませんよ。外国人のお坊さんなら『どちらからいらっしゃったんですか?』と尋ねるのもよいでしょう。お寺には何か用事がないと行かないという人もいますが、本来は近所の人やゆかりある人が顔を見せに立ち寄る場です。訪ねて行かれたら、お寺の方も喜ばれるはずです」。

写経を通して心を洗うつもりで訪れたはずが、帰る頃には目に見えない敷居が取り払われ、お寺との距離が近づいたような気がしました。
今ここに在りたい時、心を軽くしたい時。寺カフェを訪れてはいかがでしょうか。

information

寺カフェ 代官山
東京都渋谷区恵比寿西1-33-15 EN代官山ビル 1F
03-6455-3276
http://tera-cafe.com/