穏やかな流れの呑川の傍らに広がる、旧池上通り周辺の閑静な住宅街。
その一角に突如として現れる鳥居と、空へと吸い込まれるように伸びる細く長い石段に、まず目を見張ります。と同時に身体に走るのは“挑戦”を目前に控えた時の緊張感。

まっすぐに上へと続く急な石段に気圧されつつ、一段一段を確かめるように足を運びます。天空の神社に向かうための石段と呼ぶには少々大げさかもしれませんが、忍耐を強いられるので、自分で自分にエールを送ることを忘れません。普段の何気ない日常ではなかなか味わえない、発奮タイム。

けれど、石段を登りきって振り返った瞬間、思わず足が止まりました。木々の合間から大田区の住宅街が広がり、その向こうには空が抜けていきます。まさかこのような眺めが待ち受けていたとは!これは到達できた者だけが味わえるご褒美なのかも。

境内は鰻の寝所のように細長く、こぢんまりとしながらも、どこか凛とした気配に満ちています。参道の脇には大きな楠と桜の木が覆いかぶさるように立ち、ツツジが顔を見せ始めていました。参拝に上がる人もなく、賑わいのある池上本門寺の近くに位置しているというのに、まるで現代に取り残された秘境のよう。

手水舎の水盤には「家運」と朱で刻まれた文字が見えます。これはこの神社の旧名「家運八幡宮」の名残です。訪れたのは4月上旬、手水鉢には桜の花びらが舞い落ち、水面に淡い花筏をつくっていました。その場に居合わせた者だけが目にできる、春の訪れを告げる景色。

社殿は素朴な造りながら、木鼻の彫刻が目を引きます。先端に施されたその装飾には、獅子の細やかな意匠が。派手さはないものの、職人の手仕事の緻密さが伝わってきます。


御祭神は誉田別命、すなわち応神天皇。源氏の守り神として知られる存在です。そしてこの神社は平安時代末期の武将、源氏方の那須与一宗高ゆかりの社。なお、神社の裏手一帯は「那須原」と呼ばれています。
歴史を紐解くと、与一の名を知らしめたのは1188年の「源平屋島の戦い」。
源義経の命を受けた与一は波に揺れる平氏の舟上の扇を、馬上から放った一本の矢で射抜きました。あまりにも有名なこの逸話の背後には、与一が心のよりどころとしていた八幡大菩薩の存在があったといわれています。実は、その八幡大菩薩の木像が、この太田神社に安置されているのです。境内に掲げられた「一願必中」の幟旗は弓矢の神といわれた与一の信仰のかたちを伝えています。

神社の創建は不明ですが、明治初期に「太田神社」に改称されました(それまでは「家運八幡宮」)。その理由は、この地域が小田原北条の頃、太田新六郎の領地であったことから、太田氏の名が付けられたようです。

境内の一角には、小さな稲荷社が祀られています。その背後にも住宅の屋根が連なる光景が広がり、この神社が高台に位置していることを改めて実感させてくれます。

広く知られていないからこそ、訪れたときの発見が深く、心に沁み入る神社。
そんな場所が東京・城南地区の片隅に今も息づいています。
information

太田神社
東京都大田区中央6-3-24
http://yoichi.tokyo.jp
