2026年の干支は「午(うま)」。
かつて武士たちが馬とともに駆け抜けた世田谷には今でも「馬の記憶」が静かに息づいています。源頼朝ゆかりの葦毛塚や駒繋神社、戦中の馬魂碑、そして多くの人々が馬と触れ合う馬事公苑—。
時代を超えて人と馬が寄り添ってきた足跡をたどりながら、世田谷を歩いてみました。
中世の武将と馬の関わり。頼朝の愛馬を葬った葦毛塚と駒繋神社へ
東急東横線・祐天寺駅から歩くことおよそ7分。
目黒区と世田谷区の境目にある住宅街を抜けると、道路の中央部に忽然とこんもりとした小さな塚が姿を現します。初めてこの光景を目にした人は一瞬「一体あれは何?」と首をかしげることでしょう。

塚に向かって歩いていくと、どことなくミステリースポットのような不思議な気配が漂いはじめます。なにしろ、道路の真ん中!通りを行き交う車が塚を避けるようにカーブしていく光景は、まるで現代の街の中にぽっかりと時間の穴が開いたよう…。それが「葦毛塚(あしげづか)」と呼ばれる史跡です。
この塚は源頼朝が奥州征伐の帰途、この地に立ち寄った際、愛馬である葦毛の馬が眠った場所と伝えられています。葦毛とは馬の毛色のことで、競馬に詳しい方は名馬「オグリキャップ」を思い出すことでしょう。塚のまわりには風に揺れる草が馬のたてがみのように伸び、静かに時を見守っているかのようです。


道の真ん中にひっそりと建つ葦毛塚から、かつて蛇崩川(じゃくずれがわ)が流れていた道筋をたどっていくと、「駒繋(こまつなぎ)神社」に行き着きます。頼朝が馬をつないだと伝えられることからその名がついた神社。樹木に包まれた高台に設けられた境内はこぢんまりとしていながらも、穏やかな空気に包まれています。


その名に“蛇”を冠した蛇崩川は、かつては曲がりくねって流れる暴れ川でした。
大雨のたびに川幅を広げ、ぬかるんだ川べりでは馬の足がとられることもしばしば。
行き交う人々の足を止めるほどの難所として知られ、まさに自然と人、そして馬とのせめぎ合いの地だったのです。

江戸時代には、人々はこの川から豊かな水の恵みを受けながらも、時には氾濫に悩まされて暮らしました。やがて永い暦を経て、昭和になると都市化の波が押し寄せ、蛇崩川は暗渠化。今では緑道として人々の憩いの場となっています。
暗渠化される前の蛇崩川を知る近隣の男性は、こんな思い出を語ってくれました。
「子どもの頃、大雨が降ると蛇崩川の水位が上がって、上流からボールが流れてきたことがあったんですよ。それを拾って遊んだことがありましたね」。

駒繋神社周辺の緑道を歩いていると、遠い時代の川の風景や川べりを苦労しながら行き交った武士と馬の気配が、ふとよみがえってくるようです。

戦時下の三軒茶屋、池尻にある軍馬をしのぶ碑
噴水の音や子どもたちの笑い声、時にミニSLの汽笛が響く世田谷公園。
この地はかつて駒沢練兵場の一角で、兵営には兵士約4,000人、軍馬約2,000頭が暮らしていました。
その名残をたどるように、世田谷公園付近の街並みに目を凝らすと、人と馬との関わりを伝える碑がひっそりと佇んでいました。
こちらは下馬の「馬魂碑」。
かつて野砲兵第1連隊が置かれた一角にある世田谷区ボランティアセンターの前に建つ碑は、軍馬を弔うためのものです。

遠く戦地へ送り出され、帰らぬ命となった馬たち。
碑の前に立つと蹄の音が微かに響いてくるような気がして、心がざわめきます。
また、馬魂碑とともに建つ「馬頭観音」からは馬を“命ある仲間”として見送った人々の深い弔いの気持ちが伝わってきます。

そして、池尻4丁目の高台にある「馬神の碑」。
東邦大学医療センター大橋病院を後にし、目黒川緑道を三宿方面へ
1930(昭和5)年に建てられた碑は、当時この地にあった騎兵第1連隊の軍馬を慰霊するもので、今でも蹄鉄や人参が供えられ、手を合わす人々の姿が見られます。
この碑もまた、戦中を駆け抜けた馬たちの存在を忘れないための想いの継承であり、人と馬がともに支え合った歴史を語り継ぐ証でもあるのです。


現在、世田谷公園のまわりにはカフェやショップが並び、休日には多くの人でにぎわいます。
けれども、目を閉じれば、かつてこのあたりに轟いていた馬のいななきがどこからともなく聞こえてくるよう…。
戦時下の人々の暮らしや馬との関わりを知りたい方は、ぜひ世田谷公園内の「せたがや未来の平和館」を訪ねてみてください。


馬と共に生きる現代。オリンピックの舞台となった馬事公苑へ
時代は流れ、世田谷における人と馬との関わりも、かつての戦いや農作業の相棒から、より穏やかなものへと変わりました。
その象徴が、2度の東京オリンピックで会場となった「JRA馬事公苑(ばじこうえん)」です。
馬事公苑は1940(昭和15)年、日本中央競馬会(JRA)の拠点として整備され、現在は、四季折々の花と緑に包まれた憩いの場として親しまれています。


アリーナは馬術競技の会場となるほか、普段は馬の調教や馬術の練習が行われ、休日には馬の写真を撮影するカメラを手にした人々の姿も。風にたなびくたてがみが陽の光を受けて輝く時、その美しい姿に思わず息をのむ人も少なくありません。
また、馬事公苑は警視庁騎馬隊の拠点でもあります。
皇室行事や式典、各地のイベントなどで、その凛々しい姿を目にしたことのある方も多いことでしょう。ちなみに道路を行き交う馬は免許不要で、自転車と同じ交通ルールの対象となります。

ところで、人と馬との関わりを探しながら世田谷を歩くと、この地は軍都といわないまでも陸軍の軍事関連施設がいくつも置かれ、その面影が今も街のあちこちにひっそりと残されていることに気がつきます。


戦時下は緊迫した風が吹き続ける時代ではありましたが、池尻や三宿のあたりでは道で倒れた馬がいると、町の人々がムシロで日陰を作り、水をかけたりするなど、やさしく看病したといいます。
また、演習が終わった後の練兵場では近所の子どもたちが兵士に頼んで馬の背に乗せてもらうこともあったとか。そのような馬との結びつきは命を尊ぶ心の交流でもありました。
時代が移ろい、街の姿はすっかり変わりました。
けれども、世田谷という土地には今もなお、人と馬がともに生きた記憶が、静かに息づいています。まもなく訪れる午年に、この地をゆっくりと散策してみるのもよいでしょう。

