東急東横線、目黒線、東急多摩川線が乗り入れる「多摩川」駅を降り、川の流れを目指して歩くと、高台にひっそりと佇む多摩川浅間神社が現れます。
3路線の列車の音が絶え間なく響く、スリリングな立地。それでも境内に一歩足を踏み入れると、喧騒は遠くに置き去りにされたかのように、時の流れがゆるやかに戻されます。

鳥居をくぐり、石段を登るとその両脇には荒々しい岩肌が続きます。
これは富士山の噴火で流れ出た溶岩で、社殿が鎮座する高台を富士山と見立てて登る「富士講(ふじこう)」の信仰と深く結びついています。


野趣あふれる石段を登りきった瞬間、目の前に開ける光景に息をのみました。
真正面には、堂々と鎮座する社殿。
「浅間造(せんげんづくり)」と呼ばれる、都内では唯一現存する様式で建てられた社殿は二重の屋根の中央が高くそびえ、その姿はまるで富士の山容を表しているかのよう。
直線を基調とした端正な造形が美しさを際立たせ、朱と白のコントラストが澄んだ青空にくっきりと浮かび上がり、神々しい気配が胸に満ちていきます。


全国におよそ1,300社あるといわれる浅間神社は、いずれも「木花咲耶姫(このはなさくやひめ)」をお祀りしています。
木花咲耶姫は短い生の中にも華やかに命を咲かせた女神。
燃え盛る炎の中で子を産み、潔く生きたその姿から、古来より「生命の象徴」として人々の信仰を集めてきました。その短命さゆえに、彼女は桜と同じく“はかなくも美しい命”を象徴する存在とされています。


この女神にちなみ、多摩川浅間神社の社紋の1つには桜が採用され、境内の随所にその意匠を見ることができます。
参道を彩る風車も風に揺れて回り続け、まるで木花咲耶姫が優しく出迎えてくれているかのよう。春になると桜の木が花開き、淡いピンクの光に包まれた境内は目を潤してくれることでしょう。

多摩川方面に進むと、青空から“青色“がなだれこんでくるかのような展望台に出ます。
「見晴らし台」の方がしっくりくるこの場に立つと、眼下にはゆるやかに流れる多摩川、川の向こうには武蔵小杉の凛々しい高層ビル群、そして晴れた日には空と雲を従えた天空の王といわんばかりの富士山まで望めます。


富士講が信仰された地で本物の富士山を遥拝。
この日はあいにく富士山の姿は拝めませんでしたが、古からの祈りのかたちがずっと受け継がれてきたことを感じさせる光景です。
神社の由緒によると、源頼朝の妻・北条政子がこの地から富士山を望み、富士吉田にある浅間神社に手を合わせたことが、多摩川浅間神社の起こりといわれています。見晴らし台に立つと、なるほど…彼女が見たであろう富士の姿が、今も同じように在ることに深い感動を覚えます。

ところで、境内は「国分寺崖線(こくぶんじがいせん)」と呼ばれる地形の一部にあります。
これは立川から世田谷、大田へと連なる自然の段丘崖。武蔵野や城南エリアの地形を形づくる重要な要素で崖線上は湧水が多く、緑が深く濃く残ります。本マガジンで紹介した二子玉川や等々力渓谷にほど近い善養寺、多摩川せせらぎ公園なども、実はこの国分寺崖線の上やその延長線上に位置しています。
そんな特別な地に古の人々が祈りの場を設けたのは、偶然ではないのかもしれません。
多摩川の流れを前にした、富士を望める高台という地形。これらを結びつけて考えると、ここが天地の気が交わる“聖なる場所”だったように思えてなりません。


新しい年の初めに、あるいは節目の日に。
崖の上の聖域を訪れ、富士を望みながら手を合わせてみてはいかがでしょうか。
この地に積み重ねられた祈念の温もりが訪れる人の胸に安らぎと幸福を運び、春の光のように心を満たしてくれることでしょう。
information

多摩川浅間神社
東京都大田区田園調布1-55-12
03-3721-4050
https://sengenjinja.info/index.html
