路面電車のように隣の駅との距離が短く、車窓の風景ものんびりとしている東急池上線。路線名にもなっている主要駅「池上」駅に下車し、歩を進めると、池上本門寺方面へと続く商店街がのびています。のんびりした下町風情がたなびくこの街の象徴が1282(弘安5)年に創建された池上本門寺。日蓮宗の宗祖である日蓮上人(1222~1282年)が61歳で最期を迎えた霊跡です。
96段の石段!
安藤広重の「江戸百景」にも描かれている総門を抜け、ドーンと目の前に立ちはだかるのは、急な勾配の石段。17世紀に加藤清正が寄進したといわれる表参道の石段は此経難持(しきょうなんじ)坂という名称で、その石段の数は96段!
「シキョウナンジ」なんて、お経がしたためられた巻物のよう…と思いきや、近からず遠からず。この石段は『妙法蓮華経』の十一番目の見宝塔品に説かれる、此経難持の偈文が96文字であることに由来するそうです。別名を「宝塔偈(ほうとうげ)」と呼ばれるこのお経は信心の難しさと大切さを説いているものだとか。坂を上がり下りしながら、己の信心を見つめ直す…日蓮の教えに傾倒していた加藤清正はそんな思いで石段を築いたのかもしれません。
総門
石段を上り終え、後ろを振り向くと、土手に植えられた桜に石段が挟まれた中央に総門が配され、その向こうには高層ビル…その光景はまるで一幅の絵のよう。はるか昔の人の眼にはどのように映っていたのだろうかと想う瞬間です。
見るものを睨みつける二体の仁王像が鎮座する門を抜けると、大堂へ導く長い石畳が。境内の広さを実感する光景です。なお、本門寺の敷地面積は約7万坪で、これは法華経の文字数(69,684字)に由来するもの。このお寺は石段といい、敷地といい、数に意味を持たせているのでしょうか?
日蓮上人を祀る「大堂」(祖師堂)は石段を寄進した加藤清正が建立したもので旧堂は1945年の空襲で焼失しました。現在の大堂は1964年に再建された鉄骨鉄筋コンクリート造のもの。入母屋造り、本瓦葺で間口15間、奥行16間、広さは240坪、高さは約30mもあり、荘厳な佇まい。威風堂々と、迫りくるような建築に優雅さが感じられるのは最大43度という急勾配の大屋根の曲線にあります。
大堂に参拝後は日蓮聖人が荼毘(だび)にふされた場所へ。ひっそりとした木々の間を縫うように取り付けられた階段を下りていくと、「日蓮大聖人御荼毘處(おだびしょ)多宝塔」の石碑が。さらに進むと、ぽっかりと開けた空間の奥に真っ赤な「多宝塔」が見えます。この多宝塔は1828年の建立。周囲のお墓や樹木の単一な色調が多宝塔のきらびやかな色を引き立て、スリリングな存在感にしているよう。多宝塔には荼毘に付された日蓮の灰がおさめられています。2010年に国の重要文化財に指定された多宝塔は全国でも最大級の大きさなのだそう。内部は10月に行われる池上本門寺最大の行事「御会式(おえしき)」で公開されます。
境内には関東最古の「五重塔」をはじめ、眼病平癒や学業成就を祈る参拝者が絶えない「日朝堂」、そして幸田露伴や松本幸四郎(7代目)、溝口健二、力道山などの有名人が眠る墓地なども。なかでも力道山のお墓を訪れる人は多いようで墓地には看板が立っています。
敷地が広いだけに見るところも多い池上本門寺の散策を終えた後は、池上名物のくず餅とともにひと休み。関東のくず餅は小麦粉のでんぷんを1年以上発酵させて精製し、蒸して作られたもの。からだにやさしい発酵食品であり、きな粉と黒蜜をかけていただきます。
三角形に切られたくず餅をひとくち。急な勾配の石段を上り下りしたからだに、ホッと甘みが巡っていきました。
日蓮宗大本山 「池上本門寺」
東京都大田区池上1-1-1
TEL03-3752-2331(代)
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