「入ってみたいけど、一度入ったらもう戻れなくなるかも…」
世の中にはきわめて少数ではありますが、風変わりで退廃的な佇まいが心を惹きつけてやまないお店(たいてい外からはどのような業種なのか不明)があります。

初台にある画廊 喫茶「Zaroff(ザロフ)」もそんな様相を感じさせるお店。
五差路にあるベース型の各階5坪、2階建のこぢんまりとした館は1階が喫茶室、2階が画廊。
外観にも「異空間」という言葉では片付けられない何かを醸していますが、眺めただけではこのお店の核にふれることはできません。

ファンタジックでブラックユーモアな映画を世に送り出してきた鬼才、ティム・バートン監督が好みそうな“風貌”のお店に足を踏み入れると、そこは古色蒼然としてそこはかとなく耽美的な気配が立ちのぼる空間。心をつかまれ、うっかりしていると「令和」という年号を忘れてしまいそう。まったく、扉を1枚隔てただけで現代から暦を遡っていくような場が佇んでいるとは。

シルクハットがトレードマークの店主、石井優光さんは2008年にZaroffを開業。
「勤めを退職する1年前から企画し、ここを開きました。もともとこういう世界が好きだったのでしょうね。画廊の仕事は運営しながら覚えていきましたね。作家もいつのまにか集まってきた、という感じです」と語ります。

一見とっつきにくそうな店主、石井さん。実は話が面白くサービス精神旺盛な方

小さな階段をそろそろとのぼった先にある2階では、途切れることなく展覧会が開催されています。
訪れた日は飴屋晶貴さんの個展期間中。写真と見まごうほどの精巧な鉛筆画の世界が広がっていました。

壁際には赤いビロード張りの椅子が2脚置かれており、座ってのんびりと鑑賞する事もできる

石井さんに最近のアートの動向をうかがったところ「漫画とアートの境目がなくなってきているような気がしますね。とくに海外ではその傾向が顕著かも。この画廊でも数は少ないですが、森園みるくさんをはじめとする漫画家の方たちが個展を開いています」。

1階の喫茶室は展示されているどれもが心と目を惹きつけます。書棚の一番上には小学生時代、読みふけった人も多いだろう少年小説の金字塔である江戸川乱歩の作品集、その近くには写真家・細江英公の名作『薔薇刑』、蠱惑的な人形に嘆息する四谷シモンの作品集、三島由紀夫や澁澤龍彦など、デカダンスとインテリジェンスを併せ持つ昭和を代表する作家たちの作品などが並び、あるいは重なり、秩序ある美を作っています。

店内にはバッハやシェーンベルク等のクラシックが流れ、幻想的な世界へ旅立つ手助けをしてくれる
魔女屋敷の隠し部屋にも似た蠱惑的なこの場所は、何と厨房。うっかり中まで入ってきてしまうお客様もいるそう

柿色の灯のもと、妖美な人形やガイコツの標本に埋もれた喫茶の顔役は骨董商にして立体造形作家のマンタムさんが手がけた「電気椅子」。
椅子の前には本物の羽をまとった雉のオブジェ剥製が吊り下げられ、どことなく寺山修司の「天井桟敷」を手がけていた小竹信節の舞台美術を思わせます。最近の言葉でいえば「映える〜」なのでしょうが、あえてそう言いたくないのはこの場がもつ「品」に気圧されてしまうからかも。

数人の作家が表紙絵を手がけた喫茶メニューのなかで目を引くのは「ココア」の種類。なんと国内外の11種ものココアが用意されています。石井さん曰く「ココアも研究しているうちにどんどん集まってしまって。メーカーによって味わいが全く異なるので、配分量や作り方は経験を積んで現在の作り方にたどりつきました」。

柘榴ジュース(700円)を提供するカップは「電気椅子」の作者マンタムさんの骨董市より仕入れた

日本のココア「ミュゼ・ドゥ・ショコラ・テオブロマ」(800円)は濃厚でふくよかな甘み。この耽美的な空間との相性の良さを感じます。そして美しいグラスで提供される柘榴ジュースを口にすると…

土方巽と大野一雄による前衛舞踏が目の前で繰り広げられ、映画『ナイトメアー・ビフォア・クリスマス』の主人公ジャックがその脇で無言で立ち働いている…そんな光景がほんの一瞬繰り広げられ、風になびいたレースのカーテンの向こうに消え去っていきました。それはうつし世の幻か、妄想か。

妖しい美しさを放つものに魅了され、それが血となり肉となっている方、あるいはそんなものに浸ってみたいという願望のある方は訪れてみませんか。
Zaroffという、このうえなく品のある退廃的で耽美な館へ。

INFORMATION

画廊 珈琲 Zaroff
東京都渋谷区初台1-11-9 五差路
TEL 03-6322-9032
http://www.house-of-zaroff.com