絶え間ない人波が作り出すざわめきがたなびく、戸越銀座商店街からすぐの高台。
にぎわいの気配から遠のいた密やかな空気が木立ちを静かに揺らす、その地に鎮座するのが戸越八幡神社です。

大正の頃の地図を眺めると、神社周辺に記されているのは「南耕地」「東耕地」「北耕地」の文字で、かつてこの一帯が農地だったという意外な姿。平坦な商店街と対照的に、丘の上にそびえる社殿は、まるで現代の喧騒を見下ろしながら過去の記憶を守り続けているかのようです。

耕作地を開拓して作られた高台より。坂道の中央部に見える平坦な道は戸越銀座商店街で、かつては谷底だった

鳥居から石畳が細く長く続く参道は、豊かな樹木に囲まれ、鬱蒼とした緑のトンネルのよう。自然光が射し込む時間帯でも木立ちが作る陰影は神秘的にして、少し背筋がヒヤリとする瞬間さえ感じさせます。

石畳の両脇に芳名板が続く厳かな参道。その細長い形状が印象的だ

神社の創建は室町時代の1526(大永6)年。
籔清水といわれる水源地から御神体が出現し、行永法師が京都の石清水八幡宮の御分霊と共に祀ったのが始まりと伝わります。

一般的に神社では社殿の近くに社務所が置かれることが多いのですが、この神社の社務所があるのは「ウナギの寝床」を思わせる参道の途中。
軒先にはアーティストが出かけたウサギの絵馬やかつて境内で飼われていた猫「みーちゃん」のブロマイドが並び、御朱印も定番のものから月替わり、例大祭限定のものまで種類も豊富。雑貨店のような楽しさが伝わってきます。

境内ではアーティストのMADBUNNYさんが手がけたうさぎアートに出会える。社務所にはコラボ授与品も

社務所を過ぎると神楽殿、さらに社殿へと続きます。
神楽殿周辺については後述しますが、社殿に進む前の見どころを1つ。それは、延享3年(1746年)に戸越村の庚申講中が奉納した狛犬。区内最古といわれ、左右の台座には207人もの村民の名前が刻まれています。当時の人々の篤い信仰心がうかがえる、地域の心を映す貴重な史跡といえます。

この地域に暮らした人々の深い信仰心を結晶化した、品川区最古の狛犬

また、この狛犬の前には「福分け猿と夢叶うさぎ」の像も。
この猿とうさぎは御神体が出現した泉に住んでいたといわれ、猿は水を汲みに来た人々に木の実や果物を分け与え、うさぎはその愛らしさで村人を笑顔にしたとか。猿とうさぎの像には野菜やフルーツが添えられ、なんとも微笑ましい光景。

村民の想いを託した狛犬の前には「夢叶うさぎ」と「福分け猿」が境内のお出迎え役として鎮座
愛らしい石像と一緒に自撮りする参拝者も多い

社殿は江戸後期、1855(安政2)年の建立。
実は創建500年を迎えるにあたり、2021年に曳家工事(建物を壊さずにそのままの姿で移動させる工事)によってこの社殿は18メートル後方へ移されました。改修前を知る人は「境内がぐっと広くなった」とその変化を語ります。

境内ではミカン箱に自分の本を持ち寄る「一箱古本市」や神社はたけ部のイベントなどを開催
社殿の前には藍浩之さんの絵文字アートを施した灯りがいくつも並ぶ

社殿脇にそびえる御神木のケンポナシは樹齢三百年とも言われ、都内でも希少な存在。
長い年月をかけてこの地に根を張り、地域の人々や参拝者を見守り続けてきた聖なる木は時代の移ろいを超えて、今もなお人々を見守っています。

梨のような風味の実をつけるケンポナシは古くからこの地域の守り神として崇められる

お楽しみは神楽殿の前。ここでは木漏れ陽の下で日常のスピードが緩んでいくような「チルタイム」が始まります。
これまで東京・城南エリアの神社を巡ってきましたが、オープンエアカフェさながらにソファがいくつも置かれ、くつろげる空間を備えた神社に出会ったのは初めて。

おもちゃや本など、子供も楽しめるグッズが充実。親同士がソファで語り合い、子供たちがその足元で遊ぶ……という光景も見られそうだ

かつて神社は、地域共同体の核として、人々の集いや交流、祭りのハレの舞台など、日常と非日常が織りなすさまざまなドラマが繰り広げられてきました。

人の営みは今も昔も変わらず、とくに用事がなくても、つい立ち寄りたくなるのが神社というもの。神楽殿前のソファに身を沈めると、ふとそんな思いが心の真ん中に宿ります。

社殿周辺より鳥居方面を望む。まっすぐ伸びた参道の脇にはソファが置かれ、その向こうに手水舎、社務所が並ぶ

現代に生きる人々もまた、この神社の懐に抱かれて思い思いに過ごし、心をほどいていきます。
まったく、木立ちに囲まれた高台にこんな憩いの場が隠されていたとは!

神楽殿前のチルタイムに、龍神様の「念願御白石(ねんがんおしらいし)」で願掛けをするのもよいでしょう。
3つの石が焚き火台に入れば願いが叶うといわれ、外れた石も手水舎で清めて再挑戦可能。運試しに行ったところ、1つ外してしまいましたが、清めた後の石は見事命中!

龍神様の「念願御白石」。左奥の焚き火台に向かって思わず石を手にとってしまうかも!?

境内には日ごとに入れ替わる民家カフェもあるので、秋の涼やかな風が頬を撫でつけるなか、オープンエアのソファで楽しむもよし、店内でゆっくりするのもよし。訪れた日はBLTサンドやプリン、かき氷などが提供されていました。カフェの近くには長く親しまれていた猫のみーちゃんのお墓があり、この猫がいかにこの神社や地域の人たちに愛されていたかを物語っています。

手水舎の脇にある風情ある門をくぐると、神職の住まいをリノベートした民家カフェへ
具材がたっぷり詰まった「BLTサンド」(1,000円)。お店の方が半分にカットしてくれる心遣いが嬉しい
訪れたのはまだ暑さが残る9月中旬。シロップが選べる絶品「かき氷」(各500円)は夏場にぜひ味わってほしい

また、社務所のある建物にはオーガニックレストラン「四季膳」も併設され、発芽玄米のお粥や旬の無農薬野菜を使った創作料理を提供。落ち着いた雰囲気の店内は普段使いはもちろん、会食や改まった席にもふさわしい空間です。

オーガニックレストラン「四季膳」で食事を堪能した後、社務所で多種多様な授与品を見るのも楽しい

戸越銀座のすぐ近くにありながら、自然と歴史、そしてアートやカフェ文化も取り入れている戸越八幡神社。参拝するだけでなく、チルタイムを過ごしたり、食を楽しむこともできる境内は現代の神社の新しいあり方を示しているのかもしれません。

INFORMATION

戸越八幡神社
東京都品川区戸越2-6-23
03-3781-4186
https://togoshihachiman.jp