人は意外性のあるモノゴトに心惹かれる習性があるようです。
たとえば喧騒のなかに突然現れた静寂な場所だったり、いつもしかめっ面の人が満面の笑顔を見せた時など。予想外の出会いが心を揺さぶり、日常を特別なものに変えてくれる瞬間!

渋谷・宮益坂の近く。「ラコステ」横の坂道の途中にポツリと現れる「茶亭 羽當(ちゃてい はとう)」は和やかでレトロなムードがたなびく静かな喫茶店。
世界中から多くの人たちが集まり、エネルギッシュな雑踏が止むことがない活気あるSHIBUYAという街で、ひと時の休息を求める人が吸い寄せられるようにこのお店にやって来ます。

外観はつい見逃してしまいそうな間口の狭い山小屋風。
しかし、その扉の向こうにはドリップされたコーヒーのよい香りが染みついた重厚な黒褐色の木と白壁のコントラストが作り出す、民家風の静謐な喫茶空間が広がっているとは!きっと誰も想像できないでしょう。

このお店は繁華な街の動きとは逆の方向を追求しているよう。
それがお客さんを惹きつける理由なのでしょう。

まっすぐ伸びるカウンターの上にはロイヤルコペンハーゲンのプレートが秩序よく並び、なんといっても白眉な存在は壁面に収納されている実用性のある芸術品ともいえるカップ&ソーサーの数々。お店の方によるとその数は400セット以上だとか。そのいずれかでコーヒーや紅茶をいただく愉しみが待っています。

豆によってネルドリップとペーパードリップを使い分けて淹れるコーヒーは9種。
「苦味が強く、酸味は少なめのもの」をスタッフの方に相談したところ「ブラジルサントス」(900円)を勧めていただきました。
ナッツのような香りがほのかに鼻先をくすぐり、酸味と苦味のバランスがほどよい味わい。バリスタの丁寧なお仕事を感じます。

コーヒーのお供はホワイトソースに玉ねぎやチキンを混ぜ合わせ、チーズをトッピングした「オープンサンド」(700円)と大ぶりのローストビーフとサラダを挟んだ「ビーフサンド」(800円)。どちらも喫茶店で出される軽食の王道を行くメニューで、人の温もりを感じさせる味わい。

焼き上がりが運ばれてくる「オープンサンド」はフランスパンの上に具材がたっぷり!
ローストビーフとサラダを挟んだ「ビーフサンド」はふかふか食パンも美味しい

全てのメニューが店内で作られ、それは大ぶりにカットされた「シフォンケーキ」にまで至ります。
看板メニューはメープルのシフォンケーキ(600円)で、ふわふわの生地にフォークを立てたタイミングでちょうどかかったのはボサ・ノヴァの名曲『イパネマの娘』。心地よい音量でかかる音楽とコーヒーと甘味と。きっとこんな時間を愛する人が多くいるからこそ、喫茶文化は色褪せないのだと思います。

「シフォンケーキ」はメープルの他、抹茶、紅茶、黒糖、シナモン、オレンジ、バナナなど
「かぼちゃプリン」(600円)とポットサービスで提供される「紅茶(アールグレイ)」(1,000円)

今や日本全国どこに行っても同じメニューや設備を備えたチェーン店が隆盛を誇っている印象。店主の想いを反映させている喫茶店は数少なくなったような気がします。
このお店は1989(平成元)年の創業。渋谷の老舗「名曲喫茶ライオン」(1926年創業)や「人間関係」(1979年創業)と共に渋谷の移り変わりを見守りながら、これからも憩いの場を届けていくのでしょう。

入り口からは見えないテーブル席。この席を愛する常連客も多いはず

都内でも希少な老舗の喫茶店は、喧騒から逃れる場であり、心をほどく場所。
そこに響く音の数々は、やわらかに奏でられる音楽のよう。
カップがテーブルに触れると、微かな陶器の響きが広がり、お喋りする声や出入りする靴音、スピーカーから流れる音楽が一体となって穏やかに耳をくすぐります。

この日はコーヒーも紅茶もウエッジウッドの器だった。デコラティブな紅茶のカップはソーサーも美しい

そして、カップに注がれた1杯のコーヒーは記憶の味。
目を瞑ると、昔の自分を思い出す人もいることでしょう。
喫茶店の重い扉を、心臓が高鳴りながらも少しばかりの勇気とともに開けたあの日のことを。

information

茶亭 羽當
東京都渋谷区渋谷1-15-19 二葉ビル
03-3400-9088
https://www.instagram.com/hatou_coffee_shibuya/