JR目黒駅西口から駅前の賑わいを後にアルコタワー方面へ進む途中、否が応でも意識が足元に向いてしまいます。目黒の急坂を代表する「行人坂」が、目の前に立ちはだかるからです。その行人坂の左側に、すっと伸びているのが通称「ドレメ通り」です。
急勾配の行人坂とは対照的に、街路樹とシックな建物が穏やかな表情を見せるこの通り。その名は「ドレメ」と親しまれている服飾専門学校「ドレスメーカー学院」(学校法人 杉野学園)に由来します。

この通りで、ドレスメーカー学院をはじめ、杉野服飾大学・大学院、衣裳博物館などを運営するのが「杉野学園」です。創設者・杉野芳子は日本の洋裁教育を切り拓いた人物。彼女の志は今も学園の建物や通りに流れる空気に息づいている…。そんな想いを胸に三井住友銀行目黒支店のある高層ビルを背にして、ドレメ通りを歩いてみました。
しばらく歩を進めると、左側に見えてくるのが「聖アンセルモ カトリック目黒教会」。
チェコ出身の建築家、アントニン・レーモンドによって設計された、打ち放しコンクリートの重厚な佇まいは日本と西洋の文化が静かに交差する場であることを物語っています。

その先に現れるのが、杉野学園が運営する「gallery U」。
このギャラリーでは、卒業生がプロデュースする「POP UP SHOP」が開催されることもあり、通りに新しい風を呼び込んでいます。

さらに進むと「杉野学園本校舎」が姿を現します。
学園の中枢ともいえるこの建物から、これまで数多くのクリエイターが社会へと羽ばたいていきました。


なお、本校舎に併設されている「ファブリックショップ・アカシア」では、一般の人でも生地やボタン、手芸用品を購入することが可能。学びの場でありながらも街に開かれている点が懐の深さを感じさせます。


ドレメ通りに流れるのはクリエイティブでありながら、どこかおおらかな空気。
その源流にいるのが、杉野学園の創設者・杉野芳子です。
彼女の歩んだ道のりは、日本の服飾教育の歴史と重なっています。

1914(大正3)年、22歳の芳子は着物に袴姿でアメリカへ渡りました。当時の女性にとって、それは並大抵の決断ではなかったはずです。異国の地で、洋服と出会った彼女は洋裁技術を身につけていきます。このアメリカでの研鑽が後に、洋装を日本人に適合させるための洋裁技術(ドレメ式原型)を考案する礎となります。また、アメリカでは後に夫となる杉野繁一と出会います。

7年間のアメリカ生活を経て帰国後の1926(大正15)年、芳子は「ドレスメーカースクール」(ドレスメーカー女学院)を開設します。生徒はわずか3人。しかし、翌年から1930年にかけて、速成科、研究科、洋服本科、師範科を増設し、教育の場を広げていきました。この頃から学校は親しみを込めて「ドレメ」と呼ばれるようになったようです。

1935(昭和10)年には、日本で初めてのファッションショーを日比谷公会堂で開催します。服を「着るもの」から「表現するもの」に押し上げた彼女の試みは、当時としては画期的なものでした。
戦後はドレメに入学希望者が殺到し、出願の列が通りの先まで延びたといいます。
その異様な人だかりはアメリカ軍警察(MP)が出動するほどで、出願者は1,000人で締め切られました。

洋裁が盛んになる昭和30年代後半には、ドレメの卒業生によって設立された系列校が全国で700校を超え、日本各地で服づくりの技術と思想が受け継がれていきます。現在も全国にある約100校の系列校が服飾教育を担い続けています。
また、デザイナーの森英恵や島田順子、ファッションモデルの山口小夜子など、国内外の第一線で活躍する人材を数多く輩出してきたことも、杉野学園の大きな特徴です。
彼女たちの存在はドレメが単なる教育機関ではなく、日本のファッション文化を世界へとつなぐ拠点であったことを物語っています。
かつて、杉野芳子と夫の繁一が暮らした邸宅が「杉野記念館」です。
凛とした気配が漂い、彼女の情熱や自立への精神が、この通りの空気そのものを形づくってきたのだと、改めて感じさせられます。


続いて現れるのが「杉野学園衣裳博物館」。
日本初の衣裳博物館として1957(昭和32)年に開館し、杉野芳子が収集した欧米諸国の中世末期の衣装や各地の民族衣裳まで、時代と地域を越えた「美」が収蔵されています。敷地内には徳川家ゆかりの塔も配され、思いがけず歴史の深層にふれる瞬間も。


同学園は大正時代の創立から、ファッションの発信地としてどのような役割を果たしてきたのでしょうか。杉野学園事務局担当者はこう語ります。
「品川区が編纂した『品川区史』には大正時代の私立学校について述べた箇所があり、当校について次のように記されています。
“ドレメと略称されたこの学校は、わが国洋裁教育の草分け的存在であり、この地はその原点といってもよい場所となっている。そのため、目黒駅界隈は昭和の初期以降、各時代にわたって最新のファッション姿の女性の往き来が繁く、東京でも、きわめてはなやかな雰囲気を持った一角として知られていた”
今も昔も、この通りの主役は学生たちです。当校で学んだ多くの人材が、ファッション業界へと羽ばたき、それぞれの場所で新しい表現を生み出してきました」。
さらに歩みを進めると目に留まるのが、「雅叙園」という名を冠した5棟からなるヴィンテージマンションです。第1棟が建てられたのは1970(昭和45)年。竣工当時は都会の先駆的な住まいだったことでしょう。

「杉野服飾大学」周辺では、最先端の技術を学ぶ学生たちの気配が通りにほどよい活気を与えています。トルソーやマネキンを運ぶ姿に遭遇することもあり、ここが創造の舞台であることを実感させます。
さらに進むと、行人坂にも引けをとらない急な下り坂が現れます。
視線の先には東急目黒線の電車が顔を出し、都市の喧騒へと再び引き戻されるような感覚を覚えます。そのまま坂を下り切ると目黒川にたどり着き、街の高低差をあらためて教えてくれます。

さて、この下り坂の途中にさりげなく佇んでいるのが、隠れ家風のカフェ「SHE meguro(シー メグロ)」です。
ランチタイムには、ガパオやプルコギ、ローストビーフ丼などをメインディッシュに据えた、満足感のあるセットが揃い、お腹を満たしてくれます。


ドレメ通りはファッションと創造、そして教育が時代とともに歩んできた場所。
この通りの主役である杉野学園では教育を通じてファッション産業界の課題に向き合い、未来につながる価値を生み出してきました。その歩みの中で培われた知と経験を、次の時代へとつないでいきます。
「杉野芳子が設立したドレスメーカー学院は令和7年度に創立100周年を迎えました。
専門学校ドレスメーカー学院は文部科学大臣が認定する『職業実践専門課程』としての教育をさらに発展させていきます。
また、杉野服飾大学は既存の大学教育の枠組みにとらわれることなく、アパレルDXに対応できるファッションデジタルに特化した人材や、SDGsとDX化の推進による新しい付加価値の創造を主導する人材を育成するなど、産業界の課題に取り組む教育推進を目指します」。(学校法人杉野学園理事長 中村賢二郎さん)
ドレメ通りは、日本のモードを長く支えてきた発信地。
ここには学びと創造の記憶が折り重なり、時代の息遣いが刻まれています。
過去から現在に続くその気配を感じながら、通りを歩いてみませんか。
