世田谷区代沢は昭和時代の首相や著名人が居を構えた、閑静な住宅街として知られる土地柄。下北沢駅から徒歩約10分の立地にある蕎麦屋「打心蕎庵(だしんそあん)」は、江戸時代に創建された森厳寺の向かいにある豊かな緑に囲まれた、一見料亭を思わせる店構え。

くぐると緑の景に吸い込まれそうなたっぷりとした暖簾がかかる入り口。その佇まいは心に改めて和の美しさを伝えてくれるようです。14時近い時間帯にも関わらず、お店の前には数組が入店を待っている状態でした。

待つこと約20分。案内された店内はぬくもりのある木肌の壁とガラス窓の向こうに見える庭の緑が作り出す、心落ち着く空間が待っていました。玄関脇には蕎麦打ち所が、窓側のテーブル席からはケヤキの太い幹の傍に2体の愛らしいタヌキ像のある、手入れの行き届いた庭が見えます。「打心蕎庵」という風情ある店名はお店のオーナーと親交が深く、かつてこの地に暮らしていた芥川賞作家の辻仁成さんが名付け親。

お昼にいただけるのは冷・温の蕎麦や3種の昼膳のほか、ざる豆腐やだし巻きなどの一品料理も。また、季節によっては「すだち蕎麦」といった旬の味わいも用意されています。

この日の昼膳の前菜は「かぼちゃの煮物」「くみ上げ湯葉」「炙り鶏の酢味噌和え」。どれも丁寧に作られ、それぞれ異なる食感と味付けが楽しめる一品。否応なしに主役の蕎麦の登場を期待してしまいます。続いて、衣の食感も楽しめるホタテやレンコンなどの天ぷらが。実はこの天ぷらに添えられた天つゆが食後にある仕事をしてくれます。それは後ほど。そしてお待ちかねの蕎麦へ。

この日のかけ蕎麦は山形の出羽川のそば粉を使ったもの。お店の定番は常陸秋そばですが、埼玉、千葉、山形など、メニューによってさまざまな産地の自家製粉のそば粉を打ち分けているそうです。このお店の蕎麦をしっかり味わいたいなら、2種あるいは3種のもり蕎麦の食べ比べも用意されているので、こちらを食するのもよいでしょう。

食後にはそば湯がたっぷり入った湯桶(ゆとう)が運ばれてきます。

このそば湯はとろみのある濃厚な風味で、おそらく他所では味わえないもの。取材チームからは「甘くない甘酒のよう」という声も聞こえてきました。褐色のとろみのあるそば湯は産地の異なる蕎麦を数種合わせたゆで汁だそう。さらには蕎麦のだし汁やつけ汁のほか、天ぷらに添えられた天つゆを入れて味わう楽しみも待っています。

そば湯はもともと信州の風習で、蕎麦好きの江戸っ子がそれにならって広めたようです。

というのも、蕎麦に含まれているビタミンB1には疲労回復、ビタミンB2には代謝維持という効果があり、信州では胃腸の調子が悪い時にはそば湯を消化を助ける薬代わりに飲んでいたとか。

緑に囲まれた静寂の庵で打ちたての蕎麦をすすり、そば湯を嗜む。

人は苦心し骨を折り

最後に心打つものに

辿りつく              仁

お店に掲げられた作家・辻仁成さん渾身の書に、庵の滋味深き蕎麦を重ねてしまいます。

information

打心蕎庵

東京都世田谷区代沢3丁目7-14

03-5431-0141

https://www.dashinsoan.jp